「妙好人(みょうこうにん)」-才市(さいち)-その12
才市が、信心の喜びを歌っている詩はたくさんありますが、一つ紹介いたしましょう。
歓喜(かんぎ)の御縁(ごえん)にあふときは、
ときも、ところも、言わずにおいて、
わしも歓喜(かんぎ)で、あなたもかんぎ(歓喜)、
これがたのしみ、なむあみだぶつ。
(『日本的霊性』角川文庫版P. 254)
ここでいう「あなた」も「阿弥陀仏(あみだ-ぶつ)のことです。
阿弥陀様と一緒に、大きな喜びの中にいて、それを阿弥陀様と一緒に喜び、それを楽しみながら「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えるというのです。
苦労の多いこの世(娑婆:しゃば)に生きながら、信心によって救われた才市(さいち)の姿が、表れています。
才市どこか、浄土かい。
ここが浄土の、なむあみだぶつ。
(『日本的霊性』角川文庫版P. 300)
才市にとって、この世の娑婆世界が、そのまま浄土と感じられたのでした。
これは、白隠禅師の『坐禅和讃』にいう「当処(とうしょ)すなわち蓮華国(れんげこく)」の境涯ではないでしょうか。
鈴木大拙は、この詩について、次のように解説しています。
彼のなむあみだぶつは、また実に、
浄土(じょうど)なのであった。
それは当りまえのことで、怪しむに足りない。
才市は、なむあみだぶつの外にないのであるから、
才市がおいて在るところの世界、すなわち娑婆(しゃば)
というものも、亦(また)、なむあみだぶつでなくてはならぬ。
そして、この外に浄土はあり得ないのである。
娑婆(しゃば)が浄土(じょうど)で、
浄土(じょうど)が娑婆(しゃば)ということ
にならざるを得ないのである。
(『日本的霊性』角川文庫版P. 300)
「娑婆(しゃば)が浄土(じょうど)で、浄土(じょうど)が娑婆(しゃば)」という境涯になれるならば、本当に救われた人と言えるでしょう。
その才市も、必ずしも、最初から、妙好人(みょうこうにん)の境涯にあったわけではありません。
20歳くらいから人生に悩み、熱心にお寺に通って、法話を聞いてきたようですが、本当に安心を得たのは、50歳すぎのようです。
今日残っている詩は、60歳を過ぎてから書き始めたそうです。
20歳から30年以上も、人生に悩みながら、その間に何度も、つまづきながら、最後は、素晴らしい詩を後世に残す「妙好人(みょうこうにん)」になったのでした。
私たち凡夫にとっては、なかなかに難しいことですが、
才市(さいち)の詩は、私たちを励まし、慰めてくれるものだと思います。