「妙好人(みょうこうにん)」-才市(さいち)-その13
2013-05-03
浄土教の教える阿弥陀仏(あみだ-ぶつ)の救いは、
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱える人を死後に極楽浄土に迎えとるというものですから、現世の救いというよりは、来世の救いということになります。
このようにいうと、科学の発達によって「来世」の存在を信じることが難しい現代人にとっては、阿弥陀仏(あみだ-ぶつ)の救いは、単なる神話の世界に感じるかもしれません。
しかし、仮に浄土教の教えが「神話」であったとしても、「神話」には、深い精神的な意味があります。
アメリカの神話学の巨匠であるジョセフ・キャンベルは、神話を学ぶ意味について、以下のように説明しています。
ジョセフ・キャンベルの『神話の力』(ハヤカワ文庫)から神話の現代的に意義についての部分を引用してみましょう。
「神話はわれわれの精神的潜在力を開くかぎである、
それは喜びに、光明に、いや光悦にさえ人を導いてくれる」
(『神話の力』ハヤカワ文庫)
「神話は人間が共通に持っているものを明らかにしてくれます。
われわれは、みな死というものを理解し、
死に対処しなければなりません。
みんな、生命の意義をしり、永遠なる存在に触れ、
神秘的なものを理解し、自分が何者であるかを
発見する必要があります。
神話は、私たち自身のうちに、
生きている無上の喜びを実感する助けとなるものです。」
(『神話の力』ハヤカワ文庫)
神話には、私たちに、生命の意義を教え、神秘的なもの、
すなわち、サムシンググレートを理解し、
自分がなにものであるかを理解する助けとなるのです。
そのことによって、神話は、
「生きている無上の喜びを実感する助けとなるもの」という程、
価値があるわけです。
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