「妙好人(みょうこうにん)」-才市(さいち)-その4
鈴木大拙は、さらに才市(さいち)の詩について、以下のように語ります。
「彼の主体が南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)そのもので、
彼の意識というのは南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)が南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)を自覚するという意味になるのである。」
(『日本的霊性』角川文庫版P.253)
「この時南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)が口を突いて出るのである。
才市が下駄を削って居るのではなくして、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)が下駄(げた)を削って居るのである。」
「その南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)が、ふと個己に復るとき、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と念仏せられる、称名(しょうみょう)せられる。」
(『日本的霊性』角川文庫版P.253)
ここで鈴木大拙が強調しているのは、才市(さいち)の詩は、「詩を作ろうという意図的なものではない」ということです。
もちろん、鈴木大拙は、生前の才市にあったわけではありませんから、実際の才市がどのように詩を作っていたのか、本当のところはわかりません。
ただ、結果的に残っている才市の詩を見ると、自己を超えた超自己というべき精神状態から生まれたものであると鈴木大拙は解釈しています。
親鸞(しんらん)の教えを深く信じて、阿弥陀仏(あみだぶつ)というサムシンググレートの存在を信じて、ただひたすらに「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えながら下駄を作るのが才市の生活でした。
そこには、才市の個人的な意識を超えたサムシンググレートとの一体感があり、それらが、自然に言葉になって溢れてきたのが、才市の詩であるわけです。
ここまで、深くサムシンググレートとの一体感を持てた人というのは、滅多にいないのではないでしょうか。
だからこそ、才市の詩が鈴木大拙を感動させ、今日でも、私たちの共感を呼ぶのだと思います。
鈴木大拙は、才市の詩をたくさん引用していますので、
このあと、いくつかをご紹介したいと思います。