「宇宙とぶっつづきの自己」

2013-10-20

生命の母というべき宇宙全体と自分がどこかでつながっているという感覚を沢木老師流にズバリと表現すると、

「坐禅は宇宙一杯とスイッチのつく法である。」

という言葉になります。

このスィッチが入っている状態が、人間本来の心のあり方であり、だからこそ、

「さとりとは、けっして面倒なところへゆくことではない。
アタリマエになることである。」

ということになります。

坐禅の功徳(くどく)、ありがたみを沢木老師の言葉は、端的に私たちに教えてくれていると思います。
このような坐禅を、あるいはイス禅をできたら、どれほど素晴らしいでしょうか。

煩悩の多い私たち凡人は、日常生活のストレスに振り回されて、坐禅をしても、なかなか、「宇宙いっぱいとスィッチがつく」状態になれません。

しかし、たとえ雑念妄想だらけのボンクラ坐禅(やイス禅)であったとしても、焦る必要はないと思います。

沢木老師のいう「坐禅こそ本尊(ほんぞん)」と思って、坐禅の方で私たちをひっぱてくださると信じて、毎日10分でも、20分でも坐禅やイス禅などの瞑想の時間を持つことが大事でしょう。

江戸時代に臨済宗を中興した白隠禅師(はくいん-ぜんじ)も、『坐禅和讃(ざぜんわさん)』のなかで、

「一坐(いちざ)の功を成す人も、積みし無量の罪ほろぶ」
    (ひととき、心を落ち着け坐った人は、
         今までの迷いや不安が無くなります)

と歌っています。
沢木老師や白隠禅師の教えを信じて、坐禅の不可思議な功徳(くどく)を信じたいものだと思います。

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