「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に一歩を進む」その3
岡本太郎もまた、18歳の時にパリに留学した時から、画家として安全な道をとるか、あえて危険な道、しかし、自分が本当に心惹かれる道に生きるか、真剣に悩んだそうです。
<岡本太郎の言葉>
「18歳でパリに来て、画家としての夢を描いた。そして芸術運動の最前衛のグループにとび込んだ。そこに情熱も張りもあった。闘った。
しかしやがて一方、人間の本当の生き方はタブローという枠のなかで美を追求することだけではないか。
もっとひろく、そしてもっとぎりぎりの自分という人間の全存在、生命それ自体が完全燃焼するような生に賭けるべきなのではないか、そういう自分自身への問いに全身でぶつからずにはいられなかった。
絵描きは絵の技術だけ、腕をみがけばいいという一般的な考え方には、ぼくはどうしても納得できなかったのだ。」
<岡本太郎の言葉>
「しかしそれは極めて危険な問いだ。芸術ばかりではない。
ほかの部門のあらゆる専門家、さまざまの企業内の社員でもみんなそうだと思うのだが、この道一筋、ただ自分の職能だけに精進すれば尊敬もされる、報われもする。
それを根本的に疑ったり、捨ててしまえば生きてはいけない。食ってもいけないということになる。
与えられた枠からはみ出して、いわば無目的的に自分をひろげていくとすれば、その先は真暗な未知、最も危険な状況に落ち込むことを覚悟しなければならない。それは極端に言えば死を意味する。
しかし、社会の分業化された狭いシステムのなかに自分をとじ込め、安全に、間違いない生き方をすることが本当であるのかどうか、若いぼくの心につきつけられた強烈な疑問だった。」
わずか18歳くらいの時に、ここまで突き詰めて考えられるというところに岡本太郎の天才性を感じます。それに対する太郎の答えは、「危険な道をとる」でした。
<岡本太郎の言葉>
「安全な道をとるか。危険な道をとるか、だ。あれか、これか。
どうしてその時そんなことを考えたのか、今はもう覚えていない。
ただ、この時にこそ、おのれに決断を下すのだ。戦慄が身体の中を通り抜ける。
この瞬間に、自分自身になるのだ、なるべきだ、ぐっと総身に力を入れた。
『危険な道をとる』
いのちを投げ出す気持ちで、自らに誓った。死に対面する以外の生はないのだ。
その他の空しい条件は切り捨てよう。そして、運命を爆発させるのだ。」
岡本太郎は、18歳で「百尺竿燈に一歩を進める」決意を固めたのでした。
危険な道でも自分自身になって、「その他の空しい条件を切り捨てて、運命を爆発させる」という生き方を選び続けるということです。
ある瞬間に「百尺竿燈に一歩を進める」決断をすることでさえも、凡人である私たちにとっては、難しいことです。
岡本太郎の偉大さは、「百尺竿燈に一歩を進める」決意を一生貫いたことでしょう。
何かに迷ったとき、悩んだとき、岡本太郎の言葉は、私たちに勇気を与えてくれると思います。