「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に一歩を進む」その1
「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に須(すべか)く歩を進め、十方世界に全身を現ずべし」
『無門関』(むもんかん)の第46則に「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に須(すべか)く歩を進め、十方世界に全身を現ずべし」という禅語があります。
「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に一歩を進む」ということわざとなって、一般的にもよく使われる言葉です。
『デジタル大辞泉』によれば、「百尺の竿(さお)の先に達しているが、なおその上に一歩を進もうとする。すでに努力・工夫を尽くしたうえに、さらに尽力すること、また、十分に言を尽くして説いたうえに、さらに一歩進めて説くことのたとえ。」という解説があります。
この部分の真義について、安谷白雲老師の『無門関提唱』から要点を引用しましょう。(必ずしも、原文通りの引用ではありません。読みやすくするため、適宜、要約して引用しています)
「『百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に坐する』とは、「これは悟った!」というところに座っていることだ。その悟りの世界からさらに一歩も二歩も前進するとどうなるか。『十方世界に全身を現ず』となる。
それは、100%完全燃焼するということです。『十方世界に全身を現ず』とは、悟って悟って、悟りの世界にもひっつかいていない。
もちろん、迷いの世界にもひっついていない。自分勝手なけちな凡夫根性はもちろんない。悟り臭いものも持っていない。
小人といって自分勝手ばかりやる小さな人物じゃ無論ダメだが、君子(くんし)といわれても、君子臭くてもいけない。道徳家くさくてもいけない。悟りくさくてもいけない。
そういうものが全部なくなると100%完全燃焼する。
悟りであろうと、どんな立派なものでもあろうと、それがあるとそいつは不純なものだから、そいつは燃焼しない。そんなものが混じっていてはいけない。そうすると十方世界に全身を現ずることができる。
そうすると、何をしても100%の仕事ができる。絶対価値の仕事ができる。そう言う人になるのが仏道修行の目標、禅の目標なんです。」
100%完全燃焼して、絶対価値の仕事ができる人間になるというのが、禅に夜人間形成の目標ということです。
簡単に達成できる目標ではありませんが、大きなポイントは、相対的な価値観の世界、つまり勝ち負けの世界を忘れて、自分が完全燃焼するということでしょう。
勝ち負けを超えた絶対価値の世界に生きようとするのが、禅の魅力の一つでありましょう。