『修身教授録』とペスタロッチについて
さて、ペスタロッチの考える智慧の教育とはいかなるものでしょうか?
森信三先生が推薦する福島政雄先生の『ペスタロッチ』(福村書店)では、以下のように書かれています。
人はまず人とならねばならぬ。
人となるとは「純なる智慧の静かなる感じ」を楽しむことである。
人類を真理に向って教育すること、
それは人類の本質と人類の本性とを
心をしずめる智慧に向って教育することである。
しかもこの智慧というのは、
決して博識などのことを指すのではない。
人間の本性の奥底において、真理と、無邪気と、単純とを、
信仰をもって、崇敬(すうけい)をもって、
聴くところのものが存するのである。
これがすなわち智慧である。
この智慧にまでの教育とは、
すなわち人間の本性の自覚にまでの教育である。
そしてこの智慧はすなわち
「すべての人間の聖福(浄福)の源泉」である。
(『ペスタロッチ』福島政雄著/福村書店)
ペスタロッチのいう「智慧」とは、単なる博識のことではなく、
「人間の本性の自覚」をいうものでした。
ペスタロッチの目指す智慧は、「人格化された知識」であり、必然的に「内心の安らぎ」をもたらすものです。
ここでいう「内心の安らぎ」というのは、内面的な充実を示していると思います。
いいかえれば、知識が人格化されたところに智慧が現れ、それが「内心の安らぎ」という内面的な充実感をもたらしてくれるのでしょう。
さて、福島先生や長田先生の解説を読んで、ペスタロッチが、初等教育(小学校)に、「智慧の育成」という高い理想を求めていたことを今回、初めて知ることができました。
この理念は、森信三先生の『修身教授録』にも、受け継がれているように思います。
森信三先生にあっては、小学校教育だけではなく、それ以後の学校教育も、職場の教育も、常に根底には「人間としての智慧を育てる」ことが目指されているのではないでしょうか。
そして、人間が身につけるべき「智慧」の何たるかを具体的に教えて下さっているのが、『修身教授録』であり、それゆえに、時代をこえて、私達の心を打つのだと思います。