『損すること』を学ぶ
曹洞宗の禅僧の中で、昭和の時代に最も活躍されたのが、沢木興道老師です。(さわき こうどう、道号:祖門、明治13年(1880年)生まれ - 昭和40年(1965年)没)
沢木興道老師の残された名言に、一番弟子であった内山興正老師が解説した本、
『宿なし興道 法句参(ほっくさん)』(大法輪閣)から、
沢木興道老師の名言及び教えをご紹介するシリーズの第7回目です。
<法句(沢木老師の言葉)>
仏教を学するとは『損すること』を学ぶのである。
お釈迦さまがいい見本じゃ。
王城も捨て、美しいお妃も捨て、可愛い子どもも捨て、立派な衣装も捨てて―きたないおケサを着て裸足で一生托鉢(たくはつ)してござった。
みな損してござるのである。
仏教とは、「損することをまなぶもの」という沢木老師の言葉は、鮮烈で人の意表をつくものがあります。
現代日本における仏教は、かなりの集金力があり、お寺さんも世襲化していますから、仏教は、「損することを学ぶ」と聞いても、腑に落ちない方も多いでしょう。むしろ、「仏教を学ぶのは、儲けるため?」という皮肉な感慨を抱く人もおられると思います。
世の中には、日本はもちろん、世界中に立派な仏教寺院がたくさんあり、重要文化財や国宝、あるいは、平泉の中尊寺のように世界遺産になっているものもあります。
それらのお寺を作るのには、莫大なお金が必要だったでしょうし、維持するにも、かなりのお金がかかります。多くの有名寺院が観光地化して、それなりの拝観料を取っているのは、文化遺産としてのお寺を維持するためのやむを得ない手段なのでしょう。
では、普通のお寺さんの経済を支えている葬儀や法事の時のお布施はどうでしょうか?
葬儀の時のお経料や戒名に対するお寺さんへのお布施には、何十万円ものお金がかかります。時には戒名だけで100万円を超えることもあるようです。
お墓については、100万円を超えるのが普通であり、都内の有名な墓地であれば、永代供養料(お墓の場所代)だけで数百万円もかかったりします。そのため、「建墓ローン」まで用意されています。
しかし、インドで生まれた仏教は、もともと、ご先祖を供養するという発想はありませんでした。インド文化自体にそのような発想が薄いからです。
それが、後に、中国、朝鮮、日本という東アジアに伝わりました。東アジアでは、伝統的に祖先崇拝の念が強く、ご先祖様を大事にお祀りします。そのような東アジアの伝統文化と仏教が結びついて、現代につながる日本の仏教が生まれました。
時には、日本の仏教は、「葬式仏教」と皮肉られることもありますが、それは、日本の伝統文化のしからしめたものであり、仏教本来の教えとは、多少ずれる面があります。反対に、その国の伝統文化を尊重し、それと融合できるような柔軟性を仏教が持っていたとも言えるでしょう。
お寺さんは、ある意味では、日本人の先祖崇拝を象徴する文化遺産であり、それを維持するためにかなりのお金が必要なことは間違いありません。お寺さんの収入も、檀家(だんか)さんのご先祖様への思いによって支えられているのですから、一概に否定することはできないと思います。