『新緝 森信三全集』について
文字通り、当時の日本の哲学研究の最高学府である京都大学及び大学院を優秀な成績で卒業された森信三先生は、本来は、京都大学卒業後に、しかるべき大学の大学教授になってもおかしくないはずでした。
しかし、西田博士に劣らぬ独創性をもった森信三先生は、西田哲学および西田哲学の影響をうけた京都学派の哲学に飽き足りず、自らの哲学を求めて独自の学問研究を追求しました。
その姿勢が、学閥に支配された戦前の京都大学には疎んじられたらしく、大学には職を得ることができず、旧制中学に相当する大阪府立天王寺師範学校(現在の大阪教育大学)に教員の職を得られました。
師範学校は、戦前まで、小学校や中学校の教員養成を目的として設置された国立の学校です。師範学校は、卒業後教職に就くことを前提に授業料がかからないのみならず生活も保障されたので、優秀でも貧しい家の子弟への救済策の役割も果たしていました。
師範学校→高等師範学校→文理科大学というコースをたどれば、学費無料で、中等学校→高等学校→帝国大学というルートに匹敵する教育が受けられたため、経済的な理由で進学を断念せざるをえない優秀な人材を多く吸収したといわれます。
とはいえ、天下の京都大学大学院卒業生としては、旧制中学に相当する師範学校の教員は、かなり不遇の職場といえます。
それでも、森信三先生は腐ることなく、学問と教育に打ち込みました。
天王寺師範学校時代の「修身」(現在の道徳の時間)の授業において、お仕着せの教科書を使わずに、自らの考えをもとに授業を行い、その講義内容を交代で生徒たちに筆写させられました。
それを整理して戦前に刊行された本が『修身教授録』(旧版)です。
戦前の『修身教授録』(旧版)は、私家版であったにもかかわらず、教育関係者の間で口コミで広がり、ベストセラーになって累計で10万部も売れたそうですが、森信三先生は、一切、印税を受け取らなかったとのことです。
それから約半世紀を経て、平成元年(1989年)、致知出版社から新版の『修身教授録』が発行されました。
これといって派手な宣伝をしたわけでもないのに、その内容の素晴らしさから、じわじわと売れだして、20年以上をかけて、やはり10万部を超えるベストセラー、ロングセラーになりました。
1万部も売れればヒットといわれる本の売れない時代に『修身教授録』のような人間学に関する教養書が10万部も売れるということは驚異的なことです。
それも、「修身」という、今や半ば死語となった言葉を使った、いかにも古めかしい表題からして時代錯誤的ですし、内容も戦前の本の再刊ですから、常識的には、売れるはずがない本でしょう。
それが、10万部も売れたのですから、いかに内容が素晴しい本であるか、それだけでもわかると思います。
現在、森信三先生が晩年に設立された「社団法人実践人の家」関係だけでも、全国に100以上の読書会があり、その多くで、『修身教授録』をテキストに読書会が行われています。
「実践人の家」関係者以外でも、『修身教授録』を心の古典として繰り返し読んでいる方は、全国にたくさんおられると思います。
世の中には、一読すれば充分というベストセラーが多く、たいていのベストセラーは3年から5年もすれば忘れられてしまいます。再読、三読に耐える本当の名著は少ないものです。
その点、『修身教授録』は、何回読んでも、その時の状況に応じ、また、年齢の変化に応じて、新しく学ぶことがある本です。
名著の中の名著であり、本当の意味で人間学の「古典」と言って良いでしょう。