『日本的霊性』とは?ー3
閑話休題(それはさておき)、禅を世界に広めた鈴木大拙(すずき-だいせつ)の本に『日本的霊性』(角川文庫、岩波文庫)という本があります。
ずいぶんと難しい本ですが、鈴木大拙の代表的著作の一つとして有名です。私は学生時代に読んで、その独特の迫力に圧倒された思い出があります。
「霊性」という言葉は、聞きなれなない言葉ですが、今風に言えば「スピリチュアル」「スピリチュアリティ」という意味です。精神のさらに奥にある「魂」の問題を取り上げた本と言えるでしょう。
しかし、「魂」という言葉は、本来個人的なものなので、「霊性」という言葉を使うと大拙(だいせつ)は述べています。
また、「霊性に目覚めることによって初めて宗教がわかる」(角川文庫版P31)とも言っています。
鈴木大拙の「霊性」に対する説明を少し引用してみましょう。(いずれも角川文庫版『日本的霊性』のP29~31「霊性の意義」より引用)
「霊性という文字はあまり使われていないようだが、これには精神とか、また普通に言う「心」の中に包みきれないものを含ませたい」
「精神と物質の奥に、今ひとつ何かを見なければならなぬのである。二つのものが対峙するかぎり、矛盾・闘争・相克・相殺などということは免れない。それでは人間はどうしても生きて行くわけにいかない。」
「なにか二つのものを包んで、二つのものがつまるところ二つでもなくて一つであり、また一つであってそのまま二つであるということを見るものがなくてはならぬ。これが霊性である。」
「霊性を宗教意識と言ってよい。ただ宗教と言うと、普通一般には誤解を生じ易いので(中略)宗教意識と言わずに霊性というのである。」
「精神には倫理性があるが、霊性はそれを超越している。
超越は否定の義ではない。」
「精神は分別意識を基礎としているが、
霊性は無分別智(むふんべつち)である。」
難しい説明に頭がくらくらした方もおられるかもしれません。
鈴木大拙の説明を読むと、どうやら、相対的二元的な対立の世界を超えた慈悲の世界、愛の世界の根底を支える不生不滅のものとして「霊性」を捉えているようです。
禅的に言えば、「仏性(ぶっしょう)」ということでしょうか。