『禅と陽明学』より「儒教と老荘と禅」
分化しすぎたことによって滅亡のリスクが高まることを歴史の中から学んだ中国古代の人々は、「根に帰る」ことを重視する老荘思想を生み出します。
>大事なことは、分化発展よりも統一含蓄(がんちく)である。
>これを力強く進めることである。
>いかにして派生するものを統一し、根に帰するか。
>つまり「事を幹す」。事を幹して根に帰する。
>できるだけ幹に結びつけ、根に帰することに
>力を注げば注ぐほど、
>我々の存在、我々の生というものは、確かになる。
>堅実になる。安全になる。
>そこで放っておいたって、現実は分化発展するんだから、
>むしろ建前を統一含蓄(がんちく)の方に置こうというのが、
>老荘の考え方です。
(『禅と陽明学』上巻p.158)
儒教の祖である孔子は、戦乱の世の中で、理想の社会を実現するために、終生、努力を続けてきました。
2500年前の孔子の時代にあっては、理想を実現するには、権力者のもとで実際政治にかかわる必要があります。
孔子は、諸侯に自分を売り込むために、10年以上も、中国各地を放浪し遊説するような生活をしました。
しかし、孔子の理想主義は、権力者である王や諸侯たちには受け入れられませんでした。晩年の孔子は、祖国にもどって私塾を作り、もっぱら教育者として青年の教導に努めました。
孔子と同じ時代に、戦国の世の中で活動することを好まない人もいました。
政治家として活躍できるだけの高い能力や教養をもちながら、農民などになって、世の中から身を隠して、ひっそりと暮らす人々が、かなりいたようです。
『論語』の中にも、そのような隠者たちが登場する章があるほどですから、決して珍しい存在ではなかったのでしょう。
それらの隠者的な生活を理想とする人々が作り出したのが、
『老子』や『荘子』という哲学的な書物です。
それぞれの本の頭文字をとって「老荘思想」といわれます。