『禅と陽明学』より「聖徳太子」
安岡正篤先生は、「聖徳太子虚構説」が盛んになる以前に、お亡くなりになられていますから、あくまでも聖徳太子は歴史的に実在した存在として、『禅と陽明学』の中で取り上げておられます。
『日本書記』に描かれている聖徳太子像を素直に受け取っているといえるでしょう。
このような見方は安岡先生だけではなく、1980年くらいまでは日本における常識でした。学校に教科書にも聖徳太子は歴史上の偉人として記載されていましたし、ながらく1万円札の肖像画として使われてきました。
しかし、安岡先生の聖徳太子に対する解説は、周知の伝説に対して、独自の観点から解釈を加えたもののように私には思えます。
それは、聖徳太子を偉大な仏教者であると同時に、偉大な政治家としてとらえたものです。以下に安岡先生の文章をご紹介いたしましょう。
安岡先生は、『禅と陽明学』の中で、聖徳太子と対比する意味で、まず、お釈迦さまと、その出身部族である釈迦族(しゃか-ぞく)の運命について解説されます。
釈尊(しゃくそん)は出家され、
出家に徹底して現実を超越された。
釈迦族(しゃか-ぞく)が敵国から攻められて、
滅亡して釈迦(しゃか)に救いを求めた時にも、
釈尊は、自分の同属の人に因果の法則というものを
諄々(じゅんじゅん)と説いて、
「釈迦族(しゃか-ぞく)は、
宿業(しゅくごう)のために亡ぶのだ。
善因善果(ぜんいんぜんか)、悪因悪果(あくいんあっか)、
因果(いんが)は、厳粛(げんしゅく)である。
釈迦族(の滅亡)は、情においては忍びないけれども、
理において止(や)むを得ない。
自業自得(じごうじとく)である」
ことを教えておられる。
そこまで徹底し超越している。
(『禅と陽明学』p.69~71)
お釈迦さまは、ご自分の一族である釈迦族が、マガダ国の大軍にほろぼされる時に、神通力で救うこともできたのに、あえて、それをしませんでした。
たくさんの親戚や友人知人がおられたでしょうに、救わなかったとされています。
むしろ、
「釈迦族(しゃか-ぞく)は、
宿業(しゅくごう)のために亡ぶのだ。」
「情においては忍びないけれども、
理において止(や)むを得ない。」
と厳しい運命を甘受すべきであると、一族の者に諭したという伝説が、お経の中に残っています。
安岡先生はそれを取り上げて、仏教の小乗的精神を徹底すると、自国の滅亡も、因果の理法によってやむを得ないものと達観する境地に至ると解説されます。
しかし、これは、お釈迦様に対する批判的な見方です。
安岡先生は、お釈迦さまの偉大な人格や宗教性の高さは認めておられますが、現実政治に対するあり方は、お釈迦さまに学ぶべきではないというご意見です。
確かに、自分の国が滅亡するのを「運命である」と達観するのは、現世を超越したお釈迦さまならではであり、普通の人間には、理解しがたいものがあります。
仏教を学ぶものは、お釈迦さまを神格化しがちなので、お釈迦さまの伝説を批判的に見ることは、なかなかできません。
しかし、安岡先生は、儒教、とくに陽明学のバックボーンがありますから、仏教やお釈迦さまを相対化して、批判的に受け取るべき点は、すなおに批判するという態度を貫かれています。
そして、お釈迦さまの反対の例として、聖徳太子を取り上げて解説されています。