『禅と陽明学』(安岡正篤著)について
現代のように変化が激しく、経済競争が厳しい世の中において、ビジネスパースンが、心のよりどころとして帰依できる、つまり心から信じ頼りにできる「教え」と出会うことは、なかなか難しいことであると思います。
「教え」そのものは、仏教にしても、儒教にしても、あるいは、キリスト教にしても、さまざまな偉大な教えが伝わっており、それらは、歴史的に価値が確かめられていると思いますので、現代においても、人々の心のよりどころになりうる教えだと思います。
しかし、「教え」を受け止めるべき私たちの方が、日々の忙しさの中で、目先の問題に振り回され、静かに内省する時間を持つことが難しくなっています。
何かに追い回されているような慌ただしい日常生活の中で、お釈迦さまや孔子の教えに沈潜し、それによって心を清め、高めていくことは、大変難しいことでしょう。
お釈迦さまが活動された2500年前においても、修行者は、基本的に出家して、仕事も家庭も捨てて、一切の経済活動を止めて、托鉢(たくはつ)という他人様からの施しで生きていくことで、修行一筋の生活をしたのでした。
そのような出家生活のできない在家の凡夫の救いとして、お釈迦さまがお亡くなりになられてから500年ほどして大乗仏教の教えが起こり、中国や日本に伝わりました。
理想から言えば、在家であっても救われるのが、大乗仏教の教えですが、それにしても、その教えに親しむ機会を得ないと救われようがないでしょう。
また、「教え」を読んだり、聞いたりする機会があったとしても、自分を過信する思いがあれば、「教え」は心に入ってきません。
安岡先生は、仏教であれ、儒教であれ、偉大なる精神的な教えに親しむためには、私たちが、「敬」という気持ちをもって、謙虚に教えを学ぶ必要があることを教えてくださっているのだと思います。