『論語』の言葉-2「朋あり。遠方より来る」①
前回の続きとして、『論語』冒頭の有名な一章の2つ目の文章について考えます。
「自分と同様に道に志す人が、近くはもとより遠方からも集まるのは、
なんと楽しいことではないか。
「朋(とも)有り、遠方より来る、また、楽しからずや。」
『論語』学而第一より
まず、「朋(とも)有り」の「朋(とも)」とはどのような人でしょうか。
伝統的な解釈では、「聖賢(せいけん)の道(人間学)を学ぼうと志を同じくする人」ということになります。志を同じくする人が各地から集まってきて、学問に励み、自分を高め成長させていくというのは、なにより、楽しいことだという意味です。そのように、ともに刺激しあい、人間として成長していける仲間ができることは素晴らしいことです。
一般的に言えば、同好の士がわかりやすいでしょう。
何かのスキル、学問、趣味、スポーツなど、目的を同じくする同好の士が集まって、一緒に学んだり、研鑽することは、それ自体、楽しいことです。各種のセミナーに参加するのも、同様に楽しいひと時であると思います。
現代の忙しいビジネスパースンの中にも、そのような学びの場や趣味の場を持っている人は多いことでしょう。自分の見聞を広め、能力を高め、心身を活性化するためにも、職場以外に何らかの学びの場を持つことは、大変、素晴らしいことであると思います。
しかし、ここでは、あえて、職場の人間関係について考察しましょう。
職場の上司や同僚や部下も、仕事を通じて社会に貢献し、協力してお金を稼ぐという意味においては、目標を共有している仲間です。その意味では、職場の上司や同僚や部下も、広い意味で「朋(とも)」といえるのではないでしょうか。
職場の人間関係が、会社の理念によって、同志的に結合していれば、それは、素晴らしい職場であるといえるでしょう。多くの経営者や管理職の方はそのような会社や部門になるように努力されていると思います。
問題は、実感として、職場の上司や同僚や部下との人間関係に悩んでいるときです。素直に「朋(とも)」と思えない場合です。
多くのビジネスパースンは、職場の人間関係に悩んだことがあるでしょう。今現在、悩みを抱えている方も結構おられると思います。
気の合う上司、部下、同僚ばかりならばよいのですが、そうとばかりも言えないのは、世の常です。時には、気の合わない上司や部下や同僚の方が多いこともあるでしょう。
そのようなときに、あえて、職場の人たちを広い意味で目標を共有する
「朋(とも)」と考えてみたらいかがでしょうか。
実感できなくても、思考実験として、考えてみるということです。
大企業でも、事業部、部、課と組織が細分化されますから、日常生活の中で、それなりの密度あるコミュニケーションをとる人の数は、数十人ではないでしょうか。職場によっては、数百人、数千人に上るケースもあるかもしれませんが、たいていは、100人を超えないと思います。
その中でも、毎日、直接、顔を合わせて付き合う職場の上司、部下、同僚は、10人程度というケースも、少なくないのではないでしょうか。
仮に100人としても、68億人分の100人ですから、確率論的にはほとんど、0に近いわけです。日本の人口の1億2700万人を分母にとっても大差はありません。
ことわざに「袖(そで)すりあうも他生(たしょう)の縁(えん)」という言葉がありますが、今現在、職場で一緒に働いている人は、どういう訳かわからないけれど、特別なご縁があって、一緒に働くことになった人であるといえるでしょう。
そういう人たちを「目標を共有する朋(とも)」ととらえて、遠方から、
つまり広い日本あるいは地球から、たまたま集まって、今現在一緒に仕事をしていることには、自分の人生にとって何か意味があるはずだと考えてみるのです。