『論語』の言葉-5「己(おのれ)にしかざる者」①
「人と接するには、忠信を失わないようにし、自分に及ばない者と交わって、えらぶるようなことがあってはならぬ。」
「忠信を主とし、己(おのれ)に如(し)からざる者を友とするなかれ。」
『論語』学而第一より
「忠信を主とし」とは、ようするに真心をもって人と付き合いなさいということで、人に親切にして、人の信頼を裏切らないようにしなさいということです。
これは、誰もが納得しやすいと思います。
問題は、「己(おのれ)に如(し)からざる者を友とするなかれ」の部分でしょう。
自分よりも劣ったものと付き合って、偉ぶって自己満足におちいってはいけないという意味です。
しかし、何をもって他人を「自分よりも劣っている」と判断したらよいのでしょうか?
地位や財産でしょうか?
あるいは、能力でしょうか?
それとも、人柄(人間性)でしょうか?
地位や財産は、分かりやすいですね。外から見て判断しやすい基準です。
しかし、自分よりも地位や財産の低い人を友とするなとは、孔子らしくない言葉です。
もし、そう解釈するとしたら、地位や財産の高い人に対しての注意と読むべきでしょう。
地位が高い人や財産のある人には、まわりの人が気をつかいます。
中には、心にもないお世辞をいって、利用しようとする人もあるかもしれません。
自分に媚びてくるような人とばかり付き合うと、本当のことが見えなくなりますよ、といういさめでしょう。
身分制度が厳しかった時代においては、君主に媚びる人はたくさんいたでしょう。
名君といわれる人は、自分に厳しいことを言ってくれる家臣を大事にしました。
現代においては、会社の社長はもちろん、役員や部長など上級管理職にある人は、会社や自分の部課の状況について厳しい意見を言ってくれる人を大事にすることも、良い経営をするうえで、大事であると思います。
では、能力について、自分よりも劣っている人については、どうでしょうか?
そういう人を友にしてはいけないのでしょうか?
能力については、本来は、他人と自分を比較することが難しいと思います。
営業職のように、結果が数字で出る職種の場合は、まだ比較しやすいでしょう。
しかし、これも、同じ社内での比較であり、同業他社の営業マンとは簡単に比べられません。商品力や背負っている「看板」(会社のブランド力)が違うからです。
異業種の場合は、さらに比較は難しくなります。個人を相手にするのか、法人を相手にするのかによって、営業手法が異なるでしょうから、単純に数字だけでは比較できません。
まして、職種が異なったら、どうでしょうか?
営業職の人と経理部の人の能力を比べることは、ほとんど無理でしょう。
100メートルの金メダリストとマラソンの金メダリストとどちらが、足が速いのかと比べるようなものです。
さらに言えば、経理や総務など間接部門の場合は、同じ職種内でも、能力の差を正確に測ることは難しいと私は思います。仕事の成果を簡単に数値化できないからです。
また、その人が社風になじむかどうかという問題もあります。
ある会社で有能な人が、転職すると必ずしも有能でない場合もあります。
もちろん、逆に、会社を移ることで、持っていた才能が開花して見違えるほど活躍する人もいます。