『論語物語』との出会い
さて、私が、『論語物語』を最初に読んだ大学時代、私は禅の修行に熱中しておりました。大学は、3年生から5年生にかけて3年間も自主休学していたのに、引っ越しの手伝いやカメラの販売などのアルバイトでお金を稼ぎながら、毎月、一週間は、摂心会(せっしんえ)という禅道場の修行合宿に参加するような生活をしていました。
「論語」そのものを初めて通読したのも、その頃かと思います。「論語」には、良い言葉がたくさんあるとは思ったものの、所詮は、人生経験未熟な学生の独学ですので、「論語」の深い味わいが分かるはずもなく、とりあえず、通読したというレベルでした。
しかし、『論語』の世界に関心が出てきて、安岡正篤先生の「論語」の解説書や山本七平氏の『論語の読み方』などを読んでいきました。その中で、偶然、手に取ったのが『論語物語』でした。
最初は、論語を題材にした小説ということで、興味半分で、対して期待もせずに読み始めましたが、読み進むにつれて、どんどん、『論語物語』の世界に引き込まれ、深く感動いたしました。
なぜ、『論語物語』にそこまで感動したのかといえば、『論語物語』に描かれている孔子と弟子たちの姿が、禅道場の老師と弟子の関係にオーバーラップしたからだと思います。
もちろん、孔子の教育方法と禅道場の教育方法は、かなり異なる面があるのですが、どちらも、人間形成を目的にしている点が共通しています。
孔子が弟子たちを厳しくも温かく指導する姿が、当時、私が禅の指導を受けていた白田(はくた)老師の姿に重なって見えたのだと思います。そのため、『論語物語』に描かれた孔子の弟子への指導を老師からの指導のように受け止めて、ありがたく拝読いたしました。
以来、「論語を初めて読んでみたい、良い解説書はないか?」という方がいると、『論語』そのものよりも、まず『論語物語』を勧めてきました。
余談ですが、私の長男が高校に入ったときに、長男にも『論語物語』を買い与え、気が向いたら、読むように勧めました。何分、反抗期で難しい年頃ですから、強制することもできず、黙って見守っておりました。
そのうち、いつの間にか、長男も『論語物語』を読んだらしく、「面白かった」と簡単な感想を聞かせてくれました。
子供たちが、将来、大人になって、自分の社会経験を踏まえて、『論語物語』を読み直して、自分なりに深く味わってくれることを祈っています。