メルマガ第12号:説けば、にせもの

2014-08-17

■懐譲(えじょう)の名言(1/3)
懐譲(えじょう)は、8年間も六祖(ろくそ)の「お前は何ものか?」という根源的な問いと取り組みました。

ついに悟りを開くと、六祖(ろくそ)にむかって、

「説似一物即不中(せつじ-いちもつ-そくふちゅう)」

と答えたと伝わっています。

懐譲(えじょう)の答えは、
「何と説いても、それはにせものであって、
本当のところには的中しません。」という意味です。
ひらたくいえば、「何ともいいようがありません。」ということです。

これが、名言とされ、有名な禅語(ぜんご)となり、現代でも掛け軸などにも書かれています。

さて、ここまで読んで、「なんだそれは?」と絶句された方もいると思います。

私も禅関係の本を読みだした頃、このエピソードに初めてであった時には驚きました。

8年も修行して、「何とも言いようがない」が答えとは、ちょっとだまされたような気がしたものです。

しかし、もし私たちがエベレストの登頂に成功して、「山頂の眺めを言え」といわれたならば、「何ともいえない絶景です!」といったとしても不思議ではないでしょう。

懐譲(えじょう)の答えも、それと同じようなものでした。

本から学んだ他人の言葉でもなく、理屈であれこれと考えだした言葉でもなく、間違いなく懐譲(えじょう)の「悟り」体験の実感がこもった自分の言葉です。

六祖(ろくそ)は、それをただちに見て取り、懐譲(えじょう)の悟りと言葉を大いに肯定したのでした。

懐譲(えじょう)が偉いのは、それからさらに15年間も、六祖(ろくそ)の身近につかえて、悟りを掘り下げる修行を続けたことです。

自分ひとりの救いであれば、最初の悟り、「何ともいえない」素晴らしい悟り体験だけでも十分だったかもしれません。
しかし、何かというと、思い上がるのが、人間の常です。最初の悟りだけでは、「悟り」の自己満足におちいる恐れがあります。

人々の師として弟子を導くためには、「悟り」の臭みというべき自己満足のレベルでは足りないわけですが、そのことを懐譲(えじょう)は、よく理解していたのでしょう。

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