メルマガ第12号:説けば、にせもの
「スーパー広報術」(配信数13万部)という老舗のメルマガに、毎月2回、『ビジネスに役立つ禅の話』というテーマで原稿を掲載していただいています。(毎月、15日頃と月末頃に配信)
<スーパー広報術> http://s-pr.com/super-prway/
このブログでも、配信済みの原稿は、順次、ご紹介しています。
今回は、第12号(2014年6月中旬配信済み)です。
■お前は何者か?(1/2)
禅宗を中国に伝えたといわれる達磨大師(だるま-だいし)から数え六代目の祖師(そし)という意味で、六祖(ろくそ)といわれた有名な禅僧がいます。それが、六祖慧能(ろくそ-えのう)です。
六祖(ろくそ)には、優れた弟子が何人もおりましたが、その代表が、南嶽懐譲(なんがく-えじょう)でした。
懐譲(えじょう)は、はじめは嵩山(すうざん)で修行していましたが、師の慧安(えあん)のすすめで、六祖(ろくそ)の弟子となりました。
懐譲(なんがく-えじょう)が弟子入りの挨拶のため六祖(ろくそ)と最初に面会した時、さっそく六祖からテストされた話が伝わっています。
禅の世界では、初対面の時に大事な問いを投げかけるというエピソードがたくさんありますが、これもその一つです。
六祖(ろくそ)は、懐譲(えじょう)に対して「どこから来たのか?」と問いかけました。
この問い自体が、じつは大変、根源的な問いです。
人間は、どこから来て、どこに行くのでしょうか?
生まれる前はどこにいて、死んだ後はどこに去るのでしょうか?
そのような深い意味を含んだ質問だったのです。
科学の常識に従って、人間は物質から生まれ物質に帰るのだと割り切れば、簡単かもしれません。
「物質」という部分をより東洋哲学的に「無」から生まれ、「無」に帰るということもできます。あるいは、キリスト教的に「神」から生まれ「神」の御許(みもと)に帰るのだということもできます。
しかし、「無」とは何か?「神」とは何か?という、さらなる問いが生まれますし、悩み多き私たち凡夫は、「無」とか、「神」とか聞いても、なかなか生死の不安から救われないのものです。
「お前は、どこから来たのか?」という問いは、深く考えれば、最も宗教的かつ哲学的で、根源的な問いといえましょう。
しかし、修行を始めたばかりの懐譲(えじょう)は、そこまで考えることなく、ごく素直に「嵩山(すうざん)の道場からやってまいりました」と答えました。
別に間違ったことを答えたわけではありません。
六祖(ろくそ)の問いを日常的な言葉と受け取ったということです。
というよりも、六祖(ろくそ)の質問の根源性に気がつかなかったというのが本当のところでした。