メルマガ第4号:達磨(だるま)の話
2014-04-04
■達磨と「だるま」さん(2/2)
伝説や神話は、「歴史的事実」ではなくても、私たちに何らかの「真実」を伝える話です。だからこそ、古い時代から現代まで長く伝えられています。
仏典(お経)にしても、キリスト教の聖書にしても、「事実」とは信じられないような奇跡の話がたくさんあります。
しかし、それが歴史的事実ではないからといって価値がないわけではありません。むしろ、そこからどのような「真実」を読み取るのか、私たちが問われているといえるでしょう。
さて、西暦6世紀前半に、達磨大師(だるま-だいし)は、インドから中国に来られたとされますが、そのとき、中国の南半分を治めていたのは、梁(りょう)という国の初代皇帝である武帝(ぶてい)でした。
梁(りょう)の武帝(ぶてい)は、「皇帝大菩薩(こうてい-だいぼさつ)」と呼ばれるほど、熱心な仏教信者でした。
国家のお金で多数のお寺を作り、たくさんの僧侶を保護し、自らもお坊さんが着るお袈裟(けさ)をつけて、臣下のものたちに仏教の講義をするほどでした。
大変まじめで、信心のあつい皇帝で、半世紀ほどの在位中は、国も大いに繁栄しました。まずは、名君といってもよい優れた皇帝といえるでしょう。
禅宗という新しい仏教の教えを伝えるために、達磨大師(だるま-だいし)という大変えらいお坊さんが、わざわざインドから中国にやってきたと聞いた梁の武帝は、さっそく達磨大師を宮廷に招いて、有名な問答をしました。
その話が、歴史上最初の禅問答として、『碧巌録(へきがんろく)』などの本に書かれ、今日まで大切な禅話として伝わっています。
さて、梁の武帝は、達磨大師(だるま-だいし)に何を聞き、それに対して、達磨大師は何と答えたのでしょうか?
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