今東光の毒舌人生相談-その6「神や運命について」(11)
『新訳聖書』は、キリスト教の聖典です。イエスキリストの言行の記録はありますが、イエスが自ら書いた文章はありません。
その点は、『論語』や仏典と同じです。
『論語』は、孔子の言行録ですが、孔子没後、100年も200年もかけて、孔子を信奉する人々によって書かれました。
仏教の膨大なお経も、お釈迦様の言行録ということになっておりますが、実際に書かれたのは、お釈迦様がお亡くなりになってからであり、お釈迦様が書かれた文章ではありません。
日本で大事にされている大乗仏典は、お釈迦様がお亡くなりになってから500年程も経ってから書かれたものです。
その点、『新訳聖書』のイエス伝は、イエス没後、数十年のうちに書かれたようですから、『論語』や『仏典』よりも成立が早いと言えるでしょう。
その『新訳聖書』には、パウロの手紙がたくさん収録されています。
パウロは、初期キリスト教最大の布教者であり、精神的支柱でした。
パウロの手紙が『聖書』にたくさん収録されていることからも、キリスト教は、事実上は、パウロ教ではないかと言われることもあるほどです。
そのパウロは、生前のイエスキリストには直接会っていません。
はじめからキリストを信じていたわけではなく、最初は、正統的なユダヤ教徒の立場から、キリスト教を迫害することに熱心だった人です。
それが、ダマスカスにおいて、神の光に打たれ、イエスの声を聞いたことで、その生涯の働きを決定されました。
パウロは、後々まで、この出来事を語りながらキリスト教の宣教に専念します。
このパウロの回心は彼自身が望んで行ったわけでもなく、彼の意思でもなかったのです。
パウロは後に「私がイエスキリストを選んだのではなく、イエスキリストが私を選んだ」という言葉を語っています。
ユダヤ人でありながら、ローマの市民権を持っていたパウロは、その後30年余、ローマ帝国内にキリスト教を布教しました。パウロは、初期キリスト教の基礎を築いた最大の功労者でした。
そして、西暦65年頃に、暴君として有名なローマ皇帝ネロによりローマで投獄され、最後は、斬首されて殉教します。