今東光の毒舌人生相談-その6「神や運命について」(12)
パウロがローマで投獄されて、死を覚悟した時期に書かれた「テモテへの手紙」には、次のような記述があります。
『新訳聖書』テモテへの手紙(2)4章14-18
わたしを通して福音があまねく宣べ伝えられ、
すべての民族がそれを聞くようになるために、
主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました。
そして、わたしは獅子の口から救われました。
主はわたしをすべての悪い業から助け出し、
天にある御自分の国へ救い入れてくださいます。
このパウロの最晩年の手紙にある
「主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました」
という言葉が、今東光師の書かれた
「我(われ)汝(なんじ)らと、共(とも)に在(あ)り」
という言葉と同じ意味でしょう。
私は、『新訳聖書』を感動をもって読んだことがありますが、クリスチャンではなく、『聖書』の内容に精通しているわけではありません。
そのため、今東光師の引用の正確な出典箇所はわかりませんが、
ダマスカスで回心した後のパウロには、常に「神」と神の子である「イエスキリスト」が心の中にいたのでしょう。
パウロは、まさにイエスキリストとともに「同行二人」の生涯を歩んだのでした。
ダマスカスでイエスに選ばれた後のパウロの生涯は、迫害を受けながらキリスト教の布教にすべてを捧げたものです。世間的・外面的にみれば、幸せな人生とは言えないでしょう。
むしろ、重荷を背負って遠い道を歩むような困難な人生であったと言うべきかもしれません。
しかし、精神的・内面的には、常にイエスキリストとともに歩んだのですから、後悔のない満足な一生だったのではないでしょうか。
今東光師は、パウロのような人は、いかなる困難にであっても、
「ああ自分の苦しさはキリストがわかってくれている。
悲しみはキリストがわかってくれている、と安心できる」
と言っています。
このような人生を歩める人は、最も幸せな人であり、
最も強い人であると思います。