今東光の毒舌人生相談-その6「神や運命について」(7)

2013-05-03

今東光師は、さらに「同行二人」(どうぎょう‐ににん)について、キリスト教の例もあげて説明しています。

<今東光師の回答-3>
またキリスト教でも、キリストがいわゆるダマスカスで現れて、「我(われ)汝(なんじ)らと、共(とも)に在(あ)り。安心せよ」と言った。

だからキリスト教徒は、キリストが常に自分と一緒にいるんだと信じている。
つまり、「同行二人」(どうぎょう‐ににん)と同じことだろう?
 この「我(われ)汝(なんじ)らと、共(とも)に在(あ)り」という言葉が、クリスチャンにとって非常に強い言葉でね。

弘法大師も「我(われ)汝(なんじ)らと、共(とも)に在(あ)り」と言っているから、あの四国の断崖絶壁(だんがいぜっぺき)でも、山野を超えて八十八ヵ所をご遍路(へんろ)できる

それと同じように、キリスト教徒もまた、いかなる艱難辛苦(かんなんしんく)にあおうとも、「我汝らと共にあり」だから、
「ああ自分の苦しさはキリストがわかってくれている。悲しみはキリストがわかってくれている」と安心できるわけだ。

これ、両者とも同じ考えなんだよ。

今東光師のいう「キリストがダマスカスに現れた」とは、初期キリスト教の最大の指導者であったパウロの回心のエピソードのことであると思います。

パウロの回心は、『聖書』の中でも有名な話で、「目からウロコが落ちる」という慣用句の出典でもあります。

とはいえ、『聖書』に馴染みのない私たち日本人には、パウロの回心のエピソードをご存知ない方もおられると思いますので、以下にご紹介しましょう。

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