仏の頭を踏み越えろ!
■禅僧と皇帝の対話(2/2)
慧忠(えちゅう)は、唐の皇帝2代から熱心に師と仰がれたことから、忠国師(ちゅう-こくし)といわれます。
国師(こくし)とは、皇帝の師という意味で、中国4千年の歴史の中には、たくさん国師(こくし)がいますが、禅仏教で、「国師」といえば、忠国師(ちゅう-こくし)を指すほど、有名な禅僧です。
さて、忠国師(ちゅう-こくし)とその禅の弟子である粛宗皇帝(しゅくそう-こうてい)とのエピソードが、禅の公案(こうあん)となっています。
ある日、参禅の際に、粛宗(しゅくそう)が、
「仏さまは、悩める人々のために、
10通りも姿を変えて人々を救うとお経に書かれていますが、
仏さまがさまざまに変化して人々を救うのは、
どのようにするのでしょうか?」
と質問しました。
粛宗(しゅくそう)は、皇太子時代から、忠国師(ちゅう-こくし)の下で、何年も禅の修行をしてきましたので、初心者の質問ではありません。
自分の修行や悟りを踏まえて、皇帝として禅の教えを現実に生かす方法を問うています。
この問いに対して、忠国師(ちゅう-こくし)は、
「仏さまの頭を踏んでいきなされ」と答えました。
仏教徒にとって理想の人格とされる「仏さま」の頭を踏みつけるとは、ずいぶん、無礼(ぶれい)な話です。
そのうえ、粛宗(しゅくそう)の質問と何の関係があるのか、分かりにくい答えです。
忠国師(ちゅう-こくし)の答えは、禅の専門書では、
「皇帝だからといって親切に答えすぎている。
相手が修行僧であれば、ただ怒鳴りつけただろうに。」
と書かれています。
はたして、忠国師(ちゅう-こくし)の答えには、どのような意味があるのでしょうか? どうぞ、続きをお読みください。
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(千代田区立の公民館)