仏法とは、ゆきつく所へゆきついた人生を教えるもの

2013-11-29

内山老師は、世間の生き方を
「すべてみな「中途半端、いい加減、ごまかし、不十分」な
生き方でしかない。」と厳しく批判されます。

この言葉が書かれたのは、内山老師が70代の頃ですから、1980年代のジャパン・アズ・ナンバーワンの時代です。

アメリカやヨーロッパが不況と高い失業率とインフレに苦しむ中で、1980年代の日本経済は最も安定しており、世界最強と言われた時代です。
リストラ、ブラック企業などという、いやな言葉もなく、終身雇用と年功序列賃金の中で、大企業のサラリーマンは、安定した人生を期待できました。
自ら事業を営んでいる方は、個々の企業間で差はあったと思いますが、景気が安定的に良いので、儲けるチャンスは多かったでしょう。
全体的に今の日本よりも、平和で豊かな時代であったように思います。

私が大学に入学したのが、まさに1980年でしたが、その年に田中康夫氏(元長野県知事)の『なんとなくクリスタル』という小説がベストセラーになりました。女子大学生兼ファッションモデルの主人公が東京でふわふわと遊びまわる小説が、100万部を超える売上を達成しています。

『なんとなくクリスタル』は、「頭の空っぽな女子大生がブランド物をたくさんぶら下げて歩いている小説」「その後のバブル景気におけるブランドブームを先取りした小説」などと評されましたが、まさに時代の雰囲気を象徴していました。

それから数年後に、空前のバブル時代がきて、『なんとなくクリスタル』の世界が当たり前のように感じられるほどになりました。
大学は、「レジャーランド」と言われ、若者も、大人も、バブルの中で遊びまくっていたような時代の雰囲気でした。
1980年代の日本社会は、空気全体が浮き足立っていたのでしょう。

戦前から、「真実の自己」を求めて、禅の修行一筋に生きてきた内山老師から見れば、そのような世間の状況は、いかにも胡散(うさん)くさく感じられたに違いありません。

ただ惰性だけで生きているのを「居眠りぼけ」といい、
何か自分の欲することにカッカのぼせ上って夢中になって追いかける生き方を「欲ぼけ」といい、
おのおの自分の所属するグループにおいて、一番価値ありとされることを追求する生き方を「グループぼけ」と批判しています。

内山老師の言葉は、ちょっと厳しすぎる感じもいたします。
しかし、真実の生き方を求め続けた内山老師には、好景気に浮かれまわっている1980年代の日本の姿が、なんとも危うく見えたのでしょう。

世間に浮かれて自分を見失いがちな現代人に対して、「目を覚ませよ」という意味で、あえて厳しい言葉を投げかけたのだと思います。

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