仏法とは、ゆきつく所へゆきついた人生を教えるもの
不幸にも、内山老師の不安は的中し、1990年代にバブルが崩壊すると、「失われた20年」と言われるデフレ不況の時代がやってきました。
バブル時代に浮かれて、不動産や株式に投資をしていた企業や資産家の方は、多額の損失を出して、倒産、破産が相次ぎました。
リストラが「企業における首切り」の意味となり、誰でも名前を知っている大企業が、1万人単位で、従業員をリストラすることも、今では、少しも珍しくありません。
1997年から1998年にかけては、山一證券や北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行など、1980年代には未来永劫倒産することがないと思われた名門の証券会社や銀行まで倒産しました。
1998年には、戦後最悪と言われるほど、日本の景気は悪くなりました。それにともない、日本における年間の自殺者数が、バブル時代には年間1.5万人くらいであったのに、90年代から急増して、1998年以降は、ついに3万人を超える水準になっています。
ロシアや東ヨーロッパなど旧共産圏と並んで、日本は、今でも、世界で最も自殺率の高い国の一つという痛ましい現実があります。
好景気に湧いていた1980年代に、それに浮かれずに、「居眠りぼけ」「欲ぼけ」「グループぼけ」して自分を見失うなと、
世間の人を叱咤激励された内山老師の先見性は、今考えると、すごいものがあったと思います。
結局、時代の変化にかかわらず、人生における大切な真実は変わらないのでしょう。
沢木老師や内山老師が伝えたかったことは、結局のところ、以下の言葉に集約されるように思います。
大切なのは、自己から出発して、
どこまでも自分のゆきつく所にゆきついた生き方を
しなければならない。
そしてこれこそが、すべての根本でなければならない。
禅仏教で言う「己事究明」(こじ-きゅうめい)のことであり、お釈迦様もここから出発されました。
私たちは、凡夫ですから、欲ぼけしたり、グループぼけしたり、あっちにつまづき、こっちにつまづき、悩みながら人生行路を進んでいます。
しかし、迷った時に帰り着くところは、「自己から出発して、どこまでも自分のゆきつく所にゆきついた生き方」をすることでしょう。
自己を原点とするということですが、何が、真実の自己なのかを確認するために、仏教の教えを学ぶことは、大変意味があると思います。