内山老師「沢木興道老師の坐禅について」

2013-11-23

しかし、同時に『正法眼蔵』では、「師について学ぶ」ことの大切さも説いていました。

「自解の 思量分別を 邪計して 師承なきは、
西天(さいてん)の 天然外道(げどう)なり」
           (『正法眼蔵』自証三昧の巻)

師につくことなく、自分の考えだけでやっているのは、
インドの天然外道でしかない。

それは自分の幼稚野蛮な考え方でやっているのでしかないから、
本当の自分をまなぶことはできないのだと。

(『宿なし興道 法句参(ほっくさん)』より)

本当の師(禅門でいう正脈(せいみゃく)の師家)について、
本格的に禅の教えを学ぶためにどうしたらよいのか? 

居士禅(こじぜん)、在家禅の道もあったと思いますが、
純粋で求道心のあつい内山老師は、ついに出家することを決意します。

おそらく、うつうつと悩んでいた内山老師を見て、
内山老師の父親も心配されていたのでしょう。

「お前は、なかなか理屈っぽい男だから、
ヘタな師匠についてもダメだ」

と内山老師の父上がおっしゃられたそうで、
あちこち調べて、沢木老師の存在を知って勧めてくれそうです。

父親のすすめで、内山老師は、昭和16年の夏に、鶴見の総持寺(永平寺と並ぶ曹洞宗の大本山の一つ)の夏期参禅会に参加されました。

その時、初めて沢木老師と出会い、内山老師は衝撃を受けます。

「私の求めている自己というものを
 こんなにまではっきり話してくれる人に、
  はじめて私は出逢ったのでした。

 それまで、いろいろな人の話を聞いてみても、
  あるいは仏教の話を聞いてみても、
 キリスト教の話を聞いてみても、
  ちっともなんともスンとも、
 オレの話じゃなかったんですからね。

 それに対して沢木老師の話は、はじめて
 「自己から出発した、自己の話」だった。」

(『宿なし興道 法句参(ほっくさん)』より)

内山老師は、夢中になって、沢木老師の話をノートにとって、夏期参禅会の終わった後で、沢木老師の話を自分なりに整理されたそうです。

それまで、西洋哲学を学び、仏教をまなび、道元禅師の『正法眼蔵』を読んできた内山老師は、機縁が熟していたのでしょう。

沢木老師の話のポイントを正確につかむことができたようです。

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