呼べばこたえる山彦
■無心が無心に応じる(1/3)
「老師が呼んだら、弟子が応える」とは、まったく当たり前のことです。しかし、慧忠が、特別な用事もないのに、弟子の応真(おうしん)を三度も呼んだのは、特別な目的があってのことでした。
高齢になった慧忠(えちゅう)は、期待の弟子である応真(おうしん)を禅的な試験で試そうとして「応真!」と三たび呼びました。
ところが、応真(おうしん)はすでに十分に修行が熟していたようで、ただ無心に「ハイ」と返事をしました。
この光景を柴山(しばやま)全慶(ぜんけい)老師は、
「呼ぶも無心、応えるも無心。無心が無心に応じる、
ただ一枚の妙境(みょうきょう)である」
(柴山全慶『無門関(むもんかん)講話』)
と評しています。
さらに、無心の境地を説明して、
「花を手にすれば自己が花である。山を臨めば自己が山である。
柱を見るときは自己が柱にほかならない。
見るところ、聞くところ、行くところ、
あるがままの一如(いちにょ)に働く無心のみごとさである。」
(柴山全慶『無門関講話』)
と書かれています。
このように無心に環境に溶け込んで、自由に働くことができるようになるというのが、禅の修行のひとつの目標です。
慧忠国師(えちゅう-こくし)は、弟子の応真(おうしん)が無心の境地を悟っているかどうか試そうとしました。そのために、用事もないのに三度も応真を呼んだのです。
しかし、すでに修行が熟していた応真(おうしん)は、少しもためらうことなく、無心の返事を三度返したのでした。
<9月のイス禅セミナー:ご案内>
イス禅と禅仏教の古典(『無門関』など)に学ぶセミナーを
9月17日(水)に、秋葉原駅近くの区民会館で開催します。
前半は、誰でもできるイス禅瞑想の実修です。
休憩後の後半は、禅の古典からの講話となります。
禅に関心のある方は、どなたでも参加できます。
日時:2014年9月17日(水)19時~21時(開場18時30分)
場所:JR秋葉原駅そばの「和泉橋区民会館」
(千代田区立の公民館)