呼べばこたえる山彦
■無心が無心に応じる(2/3)
三度確かめて、まちがいなく無心の返事をした応真(おうしん)を慧忠国師(えちゅう-こくし)も認めざるをえません。
普通ならば、「よく修行したな。お前は十分に悟っている。」とほめるところでしょう。
しかし、禅門では、昔から、「ほめるべきところで、わざとけなす」というやり方をします。修行の道に終わりはないので、弟子に油断させないために、あえて反語的にけなすのです。
しかし、言葉では「けなし」ていても、その心は相手を認め「ほめている」ことがあります。
もちろん、「けなし言葉」が常に「ほめ言葉」というわけではなく、本当にけなしている場合もあります。
結果的に、禅の古典を読むと、けなした表現ばかりが並んでいるように感じられます。
しかし、修行が進んだ人が読めば、本当にけなしているのか、じつは、けなしているように見えて、心でほめているのか、見分けがつくとされます。
その見分けがつけられる力をみがくために、老師の指導に従って坐禅をし、作務をし、公案を使った禅問答の修行をしていくのが、臨済宗の禅風といえます。
さて、この場合の慧忠国師(えちゅう-こくし)の「わしが悪いと思っていたが、じつは、お前が悪かった」という言葉も、弟子の応真(おうしん)を大いに認めた「ほめ言葉」であると禅の専門書に解説されています。
<9月のイス禅セミナー:ご案内>
イス禅と禅仏教の古典(『無門関』など)に学ぶセミナーを
9月17日(水)に、秋葉原駅近くの区民会館で開催します。
前半は、誰でもできるイス禅瞑想の実修です。
休憩後の後半は、禅の古典からの講話となります。
禅に関心のある方は、どなたでも参加できます。
日時:2014年9月17日(水)19時~21時(開場18時30分)
場所:JR秋葉原駅そばの「和泉橋区民会館」
(千代田区立の公民館)