布施(ふせ)し合う中に生きる
沢木老師は、「施しあう世界」に生きるための心構えを次のように教えてくれ待ています。
<法句(沢木老師の言葉)>
『自分が貪(むさぼ)らぬ』という一事をもって
十方に供養(くよう)する
これほど大きな供養(くよう)はない
沢木老師によれば、「施(ほどこ)し合い」の世界において、私たちが持つべき心得は、「自分がむさぼらない」という気持ちです。
「自分がむさぼらない」という気持ちが、周りに対する供養になるわけですが、「供養(くよう)」とは、仏教用語で、仏さまなどに香華(こうげ),灯明,飲食(おんじき)などの供物(くもつ)を真心から捧げることをいいます。
もともとは、サンスクリットのプージャーまたはプージャナーpūjanāの訳ですが、これらの語はもともと〈尊敬〉を意味し、したがって、相手に対する尊敬の念から香華などを捧げるのが、「供養」ということになります。
伝統的にご先祖さまを大切にする日本では、死者・祖先に対する追善供養のことを特に供養ということが多く、これから派生して仏教と関係なく死者への対応という意味で広く供養と呼ぶこともあります。
また動物等に対する供養、さらには針供養のように生き物でない道具等に対する供養もあります。
いずれにしても、「供養(くよう)」とは、何かを捧げることを言いますが、沢木老師は、「自分がむさぼらない心」が、最大の供養であると教えてくれます。
この世界は、本来、施しあいの中で成り立っているとしたら、自分がむさぼらないで譲ってあげるだけで、誰かが、その分の施しを受け取ることになります。
無理に、誰かに何かを施そう、供養しようと思わなくても、自分がむさぼらないだけで、十分な供養になるわけです。
他者に施そう、お布施(ふせ)をしようと思っても、生活に追われているとつい忘れがちになります。
特に、競争社会であるビジネスの世界では、「施す」とか、「お布施(ふせ)」という概念自体がなじみません。
その点、「自分が貪(むさぼ)らぬ」という心得は分かりやすいですし、実践しやすいのではないでしょうか。
ビジネスの世界に、これをあてはめれば、近江商人の「三方(さんぽう)よし」の精神になると思います。
「三方よし」とは、
「売り手よし、買い手よし、世間よし」のことで、
「売り手の都合だけで商いをするのではなく、
買い手が心の底から満足し、
さらに商いを通じて地域社会の発展や福利の増進に
貢献しなければならない。」
という意味です。
近江商人(おうみしょうにん、おうみあきんど)は、主に鎌倉時代から昭和時代(特に戦前期)にかけて活動した近江国・滋賀県出身の商人たちです。江戸時代には、大坂商人・伊勢商人と並ぶ日本三大商人の一つとされました。
現在でも俗に、滋賀県出身の企業家を近江商人と呼ぶことがありますが、近江商人の流れを汲む大企業がいまでも数多くあり、伊藤忠商事、高島屋、トヨタなどそうそうたる企業が近江商人の流れを汲むとされています。
その近江商人が大切に受け継いできた精神が、「三方よし」の精神です。