形のない塔を建てよ!
■病床での最後の指導(2/2)
そこで、粛宗(しゅくそう)は、「形のない塔とはいかなるものでしょうか?」と素直に問い直しました。
禅の古典では、粛宗(しゅくそう)の質問を「よくぞ、問い直した。よい突込みだぞ!」とほめています。
分からないものを分かったふりをすることが禅ではありません。素直な心は、禅の精神を学ぶ上で、最も大切なものです。
それに対して、忠国師(ちゅう-こくし)は、最後の力を振り絞って、病床から起き上がり、しゃんと坐禅の姿勢をして、しばし黙っておられました。
忠国師(ちゅう-こくし)は、無言の中にも、全身全霊で「形のない塔とは何か?」を皇帝に伝えたのでした。
それから、おもむろに「お分かりになりましたかな?」と粛宗(しゅくそう)に問いかけました。
それでも粛宗(しゅくそう)には、忠国師(ちゅう-こくし)のいう「形のない塔」が何を意味するのか、分かりません。
そこで、再び、素直に、「私には分かりません。」と申し上げました。
すると、忠国師(ちゅう-こくし)は、あえて自分ではそれ以上の解説をせずに、
「私に、耽源(たんげん)という優れた弟子がおりますので、わしが死んだら、耽源(たんげん)に聞いてくだされ。」といって問答を終えました。
優れた老師(ろうし)による禅の指導は、分かりやすく解説することではなく、修行者に疑問を起こさせることにあります。
弟子が、自分で自分の心を深く見つめるための手掛かりとなるように、あえて、分かりにくい言動をするのです。
そのため、「禅問答のようだ」といえば、真意が分かりにくいことの例えになっているほどです。
さて、忠国師(ちゅう-こくし)が、粛宗(しゅくそう)に与えた「形のない塔」とは、いかなる意味でしょうか? 続きをお読みください。
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(千代田区立の公民館)