心でも、仏でもない
2015-08-23
■すべてを超越せよ(3/3)
ビジネスにおいて、最終的に直観的な判断をする場合、結果的に判断を間違えることもあり得ます。
リーダーは、間違いのリスクを背負って判断することが求められ、かつ、間違えたときは、自らの間違いを認めて方向修正を図らなければなりません。
間違ったことが分かれば、自分のメンツにとらわれることなく、柔軟に方向性を修正することで、チームとしての成果を追求することが必要です。
しかし、間違いを修正すると言うことは簡単ですが、実際には、判断ミスを素直に認めることは難しいことです。そのようなときに、そのリーダーの心のあり方が問われるのでしょう。
日本では、古来、「肚(はら)ができた人」(ものごとに当って覚悟ができており、多少のことでは心が動じない人)を大人物として尊重してきました。
明治維新の際の西郷隆盛(さいごう-たかもり)などは、肚(はら)のできた大人物の代表です。
渋沢栄一は、西郷のことを
「馬鹿にされても気づかず、ほめられても喜ばず、
ほめられたことさえ気づかずにいられる、
賢愚(けんぐ)を超越した大人物」
と評しています。
西郷隆盛も、ずいぶんと禅にしたしみ、東洋の古典を真剣に学ぶことで、心を練ったと伝わっています。
変化の激しい現代において、「肚(はら)ができた人」とは、直観的な判断力に優れ、かつ、判断を間違った時でも、勇気をもって自分の間違いを認めて、柔軟に方向転換できる人をいうのではないでしょうか。
私たち凡夫が、そのような境地に少しでも近づくために、坐禅などの瞑想によって、自分を静かに見つめる時間を持つことが有効なのだと思います。
<ここがポイント>
1.瞑想は、心を自由にする
2.大事な教えでも、それに捉われすぎない
3.直観的な判断力と間違いを認める勇気
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