本来の面目とは?
■思いを捨てる(2/3)
驚いた慧明(えみょう)は、
「もしかしたら、この慧能(えのう)こそ、
本当の後継者かもしれない。力で袈裟(けさ)を争うのは間違いだ」
と気が付きました。
もともと、慧明(えみょう)は修行熱心で真面目な人でした。
何年も弘忍(ぐにん)の禅道場で真面目に修行し、かなり修行が進んでいたようですが、あと一歩で、悟りの世界にとどかず、自分でもまだ駄目だと悩んでいました。
そこで、慧能(えのう)に対して態度をあらためると、
「私は、仏法を求めてきたのです。
袈裟(けさ)のためではありません。
どうか、仏法の真髄(しんずい)をお示しください。」
と、本当に素直に、敬虔(けいけん)な態度で、
心を白紙にして、真剣に問いかけました。
慧能(えのう)は、
「善も思わず、悪も思わない、頭が白紙になったとき、
お前の本来の面目(めんぼく)は、どんなものか?」
と逆に問いかけました。
その言葉を聞いたとたん、慧明(えみょう)は、
「うーん!なるほど」と気が付きました。
長年求めていた悟りを開くことができたのです。
慧明(えみょう)は喜びのあまり、全身汗びっしょりになり、
うれし涙を流して、慧能(えのう)を礼拝(らいはい)したのでした。
禅的な指導法は、分かりやすい答えを与えるものではありません。
自分で考えさせる、自分で悟らせるのが目的ですから、
しばしば、師匠が弟子に問いかける形で行われます。
この時の慧能(えのう)も、仏法の真髄(しんずい)を聞かれて、
逆に「問い」を投げかけています。
慧能の言葉は、禅では大変有名なもので、
「本来の面目(めんぼく)」という公案になっています。
禅の専門書には、
「慧明(えみょう)は、頭を白紙にして真剣に仏法を求めた。
その白紙になっている、頭の中が「無一物(むいちもつ)」
になっている。
まさにその時に「本来の面目」という大先天性が
丸出しになっているじゃないか、
と慧能(えのう)は、問いを投げかけた。」
という意味のことが書かれています。
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休憩後の後半は、禅の古典からの講話となります。
禅に関心のある方は、どなたでも参加できます。
日時:2014年7月16日(水)19時~21時(開場18時30分)
場所:JR秋葉原駅そばの「和泉橋区民会館」
(千代田区立の公民館)