本来の面目とは?

2014-07-05

■思いを捨てる(2/3)

驚いた慧明(えみょう)は、

「もしかしたら、この慧能(えのう)こそ、
本当の後継者かもしれない。力で袈裟(けさ)を争うのは間違いだ」

と気が付きました。

もともと、慧明(えみょう)は修行熱心で真面目な人でした。
何年も弘忍(ぐにん)の禅道場で真面目に修行し、かなり修行が進んでいたようですが、あと一歩で、悟りの世界にとどかず、自分でもまだ駄目だと悩んでいました。

そこで、慧能(えのう)に対して態度をあらためると、

「私は、仏法を求めてきたのです。
袈裟(けさ)のためではありません。
どうか、仏法の真髄(しんずい)をお示しください。」

と、本当に素直に、敬虔(けいけん)な態度で、
心を白紙にして、真剣に問いかけました。

慧能(えのう)は、

「善も思わず、悪も思わない、頭が白紙になったとき、
お前の本来の面目(めんぼく)は、どんなものか?」

と逆に問いかけました。

その言葉を聞いたとたん、慧明(えみょう)は、
「うーん!なるほど」と気が付きました。
長年求めていた悟りを開くことができたのです。

慧明(えみょう)は喜びのあまり、全身汗びっしょりになり、
うれし涙を流して、慧能(えのう)を礼拝(らいはい)したのでした。

禅的な指導法は、分かりやすい答えを与えるものではありません。
自分で考えさせる、自分で悟らせるのが目的ですから、
しばしば、師匠が弟子に問いかける形で行われます。

この時の慧能(えのう)も、仏法の真髄(しんずい)を聞かれて、
逆に「問い」を投げかけています。

慧能の言葉は、禅では大変有名なもので、
「本来の面目(めんぼく)」という公案になっています。

禅の専門書には、

「慧明(えみょう)は、頭を白紙にして真剣に仏法を求めた。

その白紙になっている、頭の中が「無一物(むいちもつ)」
になっている。

まさにその時に「本来の面目」という大先天性が
丸出しになっているじゃないか、

と慧能(えのう)は、問いを投げかけた。」

という意味のことが書かれています。

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