本来無一物
■悟りの世界は空(くう)(1/3)
すでに高齢であった弘忍(ぐにん)は、ある日、弟子たちに「それぞれ自分の悟りの境地を詩に作って、持ってきなさい。最も優れた詩を作ったものを私の後継者にしよう」と言い出しました。
弘忍(ぐにん)の下で修行しているものは700人もいましたが、その中で神秀(じんしゅう)が一番優れた弟子として、すべての修行者から尊敬されていました。
神秀(じんしゅう)は、皆の期待に応えて、次のような詩を廊下に張り出しました。
<神秀(じんしゅう)の詩>
「この身は、菩提樹(ぼだいじゅ)、悟りの土台である。
心は、清らかな鏡のように明るいものだ。
だから修行によって、心をきよめなければならない。
煩悩(ぼんのう)のチリやホコリで、
心を汚してはいけないぞ。」
弘忍(ぐにん)は、神秀(じんしゅう)の詩を読んで「立派な詩だ。このように修行をすれば間違いない」とほめました。
これで、跡継ぎがきまったとばかりに、その詩が寺中の評判になりました。
しかし、慧能(えのう)だけは、神秀(じんしゅう)の詩を聞いても、不足を感じました。禅の悟りの境地にはまだ足りないと思ったのです。
そこで、自分の悟りを表す詩を作って、ひそかに匿名(とくめい)で廊下に張り出しました。
<慧能(えのう)の詩>
「徹底した悟りは、ただ空(くう)である。
空の世界は、もともと、悟りも無く、煩悩(ぼんのう)も無い。
身もなく、心も無く、悩みも、悩む心も無い。
本来無一物(ほんらい-むいちもつ)である。
ホコリやチリがつくこともなく、曇ることもない。」
この詩を見た修行者たちは、度肝(どぎも)を抜かれました。
長年、禅の修行にはげんだ人たちだけに、慧能(えのう)の詩の素晴らしさがわかったのです。
神秀(じんしゅう)より優れた詩を誰が作ったのだろうと、修行者たちは不思議がりました。