無心の境地を求める
2014-05-08
■心を持ってこい!(2/2)
その後に、「ついに心をつかまえることはできない」とはっきり自覚した慧可は、達磨のもとにいって次の問答をしました。
慧可(えか)「探しても探しても、
心はどうしても、つかまりません。」
(原文は漢文ですので、
「心を求むるに、ついに、不可得(ふかとく)なり」
となっています。)
達磨大師「お前のために、安心させてやったぞ」
この禅問答の眼目は、慧可(えか)の「不可得(ふかとく)なり」というところです。
「心を得られない、捕まえられない」ということは、要するに無いということです。心を探そうとする自分の心が、そのまま自分のすべてであって、それ以外に自分の実体はないと、はっきりと慧可(えか)は悟ったのでした。
達磨大師(だるま-だいし)に導かれて、「無心」という境地に慧可(えか)は到達したのでしょう。
達磨大師(だるま-だいし)が慧可(えか)に言った「お前を安心させてやったぞ」という言葉は、老師方の講義録を見ますと、達磨(だるま)が慧可(えか)をおほめになった言葉だそうです。
「よく悟ったな。それでいいじゃないか。なかったら、何の心配もいらんぞ。」ということです。
同時に、そもそも「お前は無いものを心配しておったのだぞ」という響きがそこにあると解説されています。
さて、この禅問答から、私たちは何を学べるでしょうか?