無門関第二十則「大力量人」

2014-06-08

現代において、幼少期に漢文の素読教育を受けた人は、ほとんどいないでしょう。中学や高校の国語の授業の一環で、漢文に接するのが普通だと思います。

私もご多分にもれず、中学・高校時代にはじめて漢文に触れました。最初は、テスト勉強のために、教科書の漢文を素読(そどく)したのですが、千年以上も読み継がれた名文だけに、その格調高い調子に陶然とした記憶があります。

せっかく多感な10代で漢文に触れることができたので、大学入学後も、少しでも素読を続けていればよかったと思います。

しかし、文学部で東洋哲学を勉強した時には、素読(そどく)・音読ということはあまりせず、もっぱら黙読して意味を受け取る勉強が中心になりました。

そうなると、なぜか、『論語』などの古典の名言が、今一つ、心や体に染み込まず、勉強の楽しさも半減した気持ちがしました。

高校時代はあれほど感動した漢文なのに、なぜ大学に入って専門的に勉強すると、面白さが半減するのか、当時は、その理由がよく分かりませんでした。

そのうちに、会計士試験にチャレンジすることになって、漢文の世界からも長期間、離れることになりました。

今思えば、意味をくどくど考えずに声に出して読むという素読(そどく)をしなかったから、漢文の面白さが半減したのだと思います。

現代のビジネスマンでも、仕事に中国古典を生かしたいと考える人々は、『論語』などの勉強会にいって、まず声に出して原文をよむ素読(そどく)をされます。

中小企業の中には、朝の朝礼の際に、社長以下社員一同で、10分くらい、『論語』や『大学』などの中国古典の一節を大きな声で素読する会社もあります。
会社の朝礼で『大学』の素読を続けているという社長さんにお伺いした話ですが、素読を2~3年続けたら、現場の社員の意識が明らかに良い方向に変わったとおっしゃっていました。

その方は、毎日のように『大学』の素読を続けているので、テキストを見なくても、全文を暗唱しているとのことです。

古典の名文のような素晴らしい言葉には、人の心を成長させる独特の力があるようです。言霊(ことだま)といってもよいかもしれません。

古典の言霊(ことだま)に触れて、自分の心をはぐくむのに、最も適した方法が素読(そどく)なのだと思います。

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