無門関第二十則「大力量人」
禅の語録の場合、正統的な漢文表現だけでなく、当時の俗語も交じっています。それだけでも、漢文として、大変難しくなり、専門の中国文学者でも、簡単には読めない漢文だそうです。
さらに現代語訳するときに難しいのは、「頌(じゅ)」という禅的な漢詩の部分です。そもそも原文が詩ですから、内容を踏まえて、現代日日本語でも詩のように訳すのが理想です。
しかし、中国語と日本語とは、言語の構造が全く異なるので、日本の俳句を英訳するのが難しいように、禅の語録に出てくる「頌(じゅ)」を詩のように訳すのは、大変難しいことです。
もちろん、今はやりの超訳(ちょうやく)ならば日本語らしい詩にしやすいでしょう。
ちなみに、超訳とは、
「意訳をさらに推し進め、訳文の正確さを犠牲にしてでも読みやすさ・分かりやすさを優先させる翻訳手法。ときに大幅に原文を省略したり、原文の順番を変えるなど、実質的には翻訳というより「非常に思い切った意訳」であり、一種の翻案(ほんあん)とも言える。」
(ウィキペディアなどより)
という方法で、アカデミー出版の登録商標だそうです。
その点、西村恵信師の訳は、原文に忠実でありながら、説明が必要な難しい仏教用語は簡略な言葉にして、全体を日本語の基本的なリズムである七五調に訳しています。
そのため、音読しても、とてもリズム感がよく、読んで気持ちの良い現代語訳になっています。
この現代語訳だけでも、音読して味わっていただければ、少し禅の世界を垣間見ることができかと思います。
とはいっても、何分、本文の内容が悟りの世界の話ですから、読んでもさっぱり理解できないという方も多いでしょう。
岩波文庫は、学問的な現代語訳と訳注までで、いわば言語学的な本訳です。そのため、公案の中身については、踏み込んだ解説はあえて書かれていません。
その点、多くの老師方が書かれている『無門関(むもんかん)』の提唱録(ていしょうろく)は、言葉の意味だけではなく、公案の精神をより端的に説明しています。
もちろん、公案の精神を本当に深く理解しようとしたら、実際に坐禅修行することが必要ですが、そのためのヒントが書かれているのが提唱録です。
次回以降で、「大力量人」の則について、『無門関』の提唱録にもとずいて、公案の内容をご説明しましょう。