無門関第四則「胡子無髭(こす-むしゅ)」
2014-07-27
さて、『無門関』第四則「胡子無髭(こす-むしゅ)」の「頌(じゅ)」を見ていきましょう。
<頌(じゅ):無門和尚による禅的な漢詩>の書き下し文
頌(じゅ)に曰(いわ)く
痴人(ちにん)面前(めんぜん)、
夢を説くべからず。
胡子(こす)無鬚(むしゅ)、
惺惺(せいせい)に曚(もう)を添(そ)う。
<頌(じゅ):無門和尚による禅的な漢詩>の現代語訳
頌(うた)って言う、
分からぬ奴(やつ)に、
夢説くなかれ。
達磨(だるま)に 鬚(ひげ)ない話など、
睲(さ)めた頭も 睡気(ねむけ)さす。
(岩波文庫『無門関』西村恵信・訳注より)
「痴人(ちにん)」とは、「愚か者、馬鹿者」という意味ですが、誰が「愚か者」なのかというと、煩悩や妄想に捉われている人ということになります。
つまり、私のような凡夫の読者も、無門和尚(むもん-おしょう)からみれば、「痴人(ちにん)」の一人でありましょう。
そのような煩悩(ぼんのう)にとらわれた「痴人(ちにん)」の前で、「夢の話をしてはいけない」といいます。
ここでいう「夢」とは、或庵(わくあん)の提起した公案のことを言っています。凡夫の眼を覚まさせるための道具が公案なのですが、「
そんなことは夢物語。ムダなことじゃ!」と無門和尚は、或庵(わくあん)を非難している様子です。
さらに、公案の内容を取り上げて、
「達磨大師(だるま-だいし)にヒゲがないなど、かえって眠たくなるわい。寝言のようなアホな話はやめなされ!」
と「頌(じゅ)」の後半でも、一貫して、無門和尚(むもん-おしょう)は、或庵(わくあん)を真っ向から否定しています。
なぜ、無門(むもん)は、或庵(わくあん)を否定するのでしょうか?
つづきをお読みください。
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