無門関第35則「せい子が二人に分身した」
中国における臨済宗中興の祖といわれる五祖法演(ごそ–ほうえん)禅師の公案が『無門関』(むもんかん)に4つも取り上げられています。
今回は、その3つ目として、第38則「倩女離魂(せいじょ–りこん)」(せい子が二人に分身した)の公案を取り上げましょう。
「倩女離魂(せいじょ–りこん)」とは、倩女(せいじょ:日本風にすれば、せい子さん)という若い女性が、魂(たましい)と肉体の二つに分離したという昔の怪談小説をテーマに、禅の悟りの世界を伝えようという趣旨の公案です。
では、まず、原文(漢文)の書き下し文をご紹介いたします。
なお、難しいと感じる方は、書き下し文は、読み飛ばしても大丈夫です。
【原漢文の書き下し文】
『無門関』第35則 「倩女離魂(せいじょ–りこん)」
「せい子が二人に分身する」
<本則(ほんそく)>・・公案そのもの
五祖、僧に問うて云(いわ)く
倩女離魂(せいじょ–りこん)、
那箇(なこ)か 是(こ)れ 真底(しんてい)?
<評唱(ひょうしょう)> ・・無門和尚の禅的な批評
無門(むもん)曰(いわ)く、
もし、者裏(しゃり)に向って、
真底(しんてい)を悟(さと)り得(え)ば、
便(すなわ)ち知らん
殻(かく)を出(い)でて、殻(かく)に入(い)ることは、
旅舎(りょしゃ)に宿(しゅく)するがごとくなることを。
それあるいは、いまだ然(しか)らずんば、
切(せつ)に乱走(らんそう)すること莫(なか)れ。
驀然(まくねん)として、地水火風(ちすいかふう)
一たび散(さん)ずれば、
湯(ゆ)に落つる虫旁蟹(ぼうかい)の
七手八脚(しちしゅ–はっきゃく)なるが如(ごと)くならん。
那時(なじ)言うこと莫(なか)れ、道(い)わずと。
<頌(じゅ)>・・無門和尚による禅的な漢詩
頌(じゅ)に曰(いわ)く
雲月(うんげつ) 是(こ)れ 同じ、
渓山(けいざん) 各(おのおの)異なり。
万福万福(まんぷく–まんぷく)
是(こ)れ一か、是(こ)れ二か?
以上が、原漢文の書き下し文ですが、
これだけでは全く意味が分からないと思いますので、
次に現代語訳を掲載します。
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