無門関第38則「牛が窓をとおる」
「迷い」を修行によって乗り越えたところが「悟り」の世界と考えがちですが、最後にたどり着くべきところは、「迷いに満ちたこの世界」がそのまま「悟りの世界」であるという境地です。
そのような「迷い」=「悟り」という究極の境地を般若経(はんにゃきょう)を研究している学者は、「真空妙有(しんくう-みょうゆう)」と呼ぶといいます。
仏教用語としての「真空妙有(しんくう-みょうゆう)」とは、「真の空が現実世界の種々の妙なる姿を展開することをいう」(コトバンク)と定義されています。
禅的には、「空(くう)」という「悟り」を得た人が、「迷い」に満ちた現実世界の中で、慈悲(じひ)の心に基づいて、利他行(りた-ぎょう)を実践することを「真空妙有(しんくう-みょうゆう)」と言っているのでしょう。
このような「悟り」の世界にいながら、衆生済度(しゅじょう-さいど)<すべての悩める人々を救う>という大乗仏教の理想にむけて努力できる人になるために、この公案があるということです。
「衆生済度(しゅじょう-さいど)」というのは、仏教的な表現ですが、今風にいえば、「社会貢献」といえるでしょう。
私たちビジネスマンにとっては、良い仕事をすることで、社会にすぐれた商品、製品やサービスを適正価格で提供することでもあります。
当たり前のことですが、なかなか、そうはできないので、私たちは、みんな悩むことになります。
そのようなときに、禅や瞑想によって、心の悩みをいったん手放すと、新しいアイディアが湧いたり、苦しい状況に耐える心の力が育ったりします。
ちなみに、なぜたくさんの公案があるかと言うと、私たち凡夫は、たくさんの煩悩(ぼんのう)のトゲが心に刺さっているからでしょう。
凡夫は、少し悟ったと思っても、すぐに後戻りしたり、あるいは、「お悟り」の天狗(てんぐ)になったりして、衆生済度(しゅじょう-さいど)に進んでいけないので、たくさんの公案によって、心を磨き上げていこうというのが、臨済禅の基本的な発想だといえるでしょう。