無門関第45則「他是阿誰(たぜ-あた)」
2014-08-03
禅仏教が追求する「仏さまの世界」、「仏さまの心境」とは、二元対立の無い世界です。「仏界」についての安谷白雲老師の言葉を引用しましょう。
「ところが、仏の世界とはどういう世界か?
仏の世界とは、他人は居ないんです。全部自分だ。
他人は一人もいない。全部自分ばかりだと。
自分一人きりなら問題が起きようはずがない。
一人きり、全部自分だというのに、
物をとられる心配ないじゃないかね。
とることも出来ない。とられることも出来ない。
ほめることも出来ない、悪口言うことも出来ない。
自分一人きりだもの。一人きりだからほめるわけにいかない。
言ったって何にもならない。意味をなさない。
罪と言うものの作りようがない。
悪というものの出る余地がない。
全部自分ばかりだから。
それを仏の世界という。」
(『無門関提唱』安谷白雲著より)
一切の対立がないとは、「すべてが自己である、大宇宙と自己とは一体である」と悟った心境です。
そうなると、「自己と他人の対立がなく、善悪の区別もなく、したがって、罪も悪もない。」という「仏の世界」が開けてきます。
「仏の世界」といっても、「あの世」のことではありません。
日常生活を生きている「この世」において、深い瞑想状態に入ったときに、体験的に把握できる心の状態を指しているといえるでしょう。
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