瓦(かわら)を磨く
■一人で坐禅する修行僧(2/2)
さて、馬祖(ばそ)が、まだ若く駆け出しの修行僧であったころのことです。
若い時代、馬祖は、南嶽(なんがく)という山の奥で、一人、小さな庵(いおり)を作って坐禅に励んでいました。
その山には、当時最高の禅僧として有名だった懐譲禅師(えじょう-ぜんじ)が修行道場を構えて、弟子を盛んに育てていました。
その時代でも、馬祖(ばそ)のように、駆け出しの修行僧が道場に入らず、ひたすら一人で坐禅するという修行のやり方は珍しかったのでしょう。
やがて、近隣の評判になり、懐譲禅師(えじょう-ぜんじ)の耳にも入りました。
ある日、懐譲(えじょう)が馬祖(ばそ)の様子を見に行くと、相変わらず、馬祖(ばそ)が熱心に坐禅をしています。
そこで、懐譲(えじょう)が「お前はずいぶんと熱心と坐禅をしているが、何のために坐禅をしているのか?」と尋ねました。
すると、馬祖(ばそ)は、「はい、仏になろうと思って坐禅しております」と答えました。
仏典によれば、お釈迦(しゃか)さまは、出家後6年間の苦行の後、苦行を捨て体調を整えて、7日間の坐禅の後、暁の明星を見て大悟しました。そして、「仏陀(ぶっだ)」すなわち「偉大な悟りを開いた人」になったのでした。
馬祖(ばそ)は、お釈迦(しゃか)さまの故事にならい、ひたすら坐禅することで「仏陀(ぶっだ)」になろうとしていたのです。
その答えを聞いた懐譲禅師(えじょう-ぜんじ)は、そのあたりに落ちていた瓦(かわら)の破片を拾って、馬祖(ばそ)の目の前で、ゴシゴシと石にこすりつけて磨(みが)き出しました。
石よりもはるかに柔らかい瓦(かわら)を石で磨くとは、当時も今も、まことに奇妙な行動です。瓦が石で削れるだけで、磨くことはできないでしょう。
そもそも、瓦(かわら)を磨いたところで、金属のように光るわけではありません。磨いた瓦が、何かに役立つわけでもありません。
なぜ、懐譲(えじょう)は、馬祖(ばそ)の前で、無意味な瓦(かわら)磨きを始めたのでしょうか?
どうぞ、つづきをお読みください。