瓦(かわら)を磨く
■先人の知恵に学べ(1/2)
石で瓦(かわら)をみがく習慣などは、当時も今もありません。
ひたすら奇妙なことをする懐譲禅師(えじょう-ぜんじ)の姿をみて、今度は、馬祖(ばそ)から質問することになります。
「懐譲(えじょう)さま、何のために、
石で瓦(かわら)をみがくのですか?」
懐譲(えじょう)は、何食わぬ顔をして答えます。
「瓦(かわら)をみがいて、光る鏡にしようとしているんじゃ」
馬祖(ばそ)は驚きました。
「おふざけになってはいけません。
瓦(かわら)をいくら磨いても、鏡にはなりませんよ」
それを聞くと懐譲(えじょう)は、言いました。
「ふむ、それはその通りじゃ。
だが、お前のやっている坐禅も同じだ。
そんな風に、ただ一人で坐禅するだけでは、悟りは開けんぞ!」
懐譲(えじょう)から頭ごなしに否定された馬祖(ばそ)は、大きなショックを受けました。頭をガツンと殴られたような気がしたことでしょう。
さらに2つ、3つの問答があってから、馬祖(ばそ)は、懐譲(えじょう)に弟子入りしました。
後に、馬祖(ばそ)は懐譲(えじょう)の法をつぎ、「馬大師(ばだいし)」と称されるほどの大活躍をすることになります。
さて、お釈迦(しゃか)さまのマネをして、坐禅の修行に励んでいた若き馬祖(ばそ)は、なぜ、懐譲(えじょう)から叱られたのでしょうか?
坐禅をすることは、禅宗において最も大事な修行です。懐譲(えじょう)の道場でも、毎日、たくさんの修行僧が坐禅をしていたことでしょう。
それにもかかわらず、近隣の評判になるほど熱心に坐禅していた懐譲(えじょう)が否定されたのは、独りよがりの修行だったからでした。
お釈迦さまも、最後の坐禅にたどり着くまで、6年間、当時(2500年前)のインドで高名な導師(グル)を次々訪れては、弟子入りして指導を仰いでいます。
お釈迦さまは、十分に先人の知恵を学んだ上で、それでも満足できず、さらに高いレベルの知恵を求めて、一人きりの坐禅に入ったのです。