禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会(10)開催致しました。
12月15日、禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会(10)開催致しました。
年末の今に覚えておきたい言葉を紹介します。
心身相即
物心相即
の二つです。
相即、とは相が「関係している々」という意味で、即が「一つである」という意味だそうです。
即は、不二とか、一如、と同じ意味で、決して「一」そのものではないのがポイントです。
日本の象徴富士山も不二山と書けます。
心身相即は、心と体はひとつであるということで、つまり年末に忙しくしては体も心も疲れてしまうので、きちんとした休息が必要であるということです。
物心相即は、物と心はひとつであるということで、年末に行う人は多いと思いますが、大掃除で、不要な物を捨て、同時に心も整理するのが大切であるということにつながるのではないでしょうか。
イス禅
そして、心を落ち着けるためのイス禅を行いました。
首を回して深く深呼吸。
それを三回。
手をお腹の前で組み
目を半分閉じて薄目に
呼吸を数えながら10分
はじめはたくさんのことが頭に浮かんできますが
浮かんでは消え
浮かんでは消え
を繰り返してぼんやりとした状態になります。
これが無我なのでしょうか。
脳科学と禅
最近の脳科学の研究で、瞑想中やぼんやりしている時に脳のエネルギーの75%が使われる「デフォルト・モード・ネットワーク」というのが発見されたそうです。
簡単に言えば、ぼんやりしている時に脳がいつもより動くということです。
例えば万有引力を発見したニュートン。ぼんやりしている時にたまたまリンゴが落ちるのを見たからだと言います。
また、アルキメデスの原理を発見したアルキメデスは、お風呂でぼんやりしている時にたまたま浮力の関係に気付いたそうです。
もちろん、新しく発見するためにはそれまでの研究があってこそですが。
そんなデフォルト・モードのお話。
馬大師と弟子の百丈。
カモが飛んだのを見て、
あれはなんだ?百丈。
カモです
どこへ行った?
飛んで行きました
すると突然、馬大師は百丈の鼻をひねり上げました。
いててててて!!!
まだそこにあるではないか
と。
馬大師はカモではなく
百丈の心のありかを尋ねていて
鼻をひねり上げられた百丈は痛がり
痛さ100%の存在
これを忍痛三昧というのですが
痛みそのものになりきったことで自分の心のありかに気づけたというお話です。
今までの修行が積み重なり、ふとした瞬間に悟りに至るということです
ちょっと難しいお話でした。
そんな馬大師の話をもうひとつ。
日面仏、月面仏。
馬大師が亡くなる間際に弟子にした最後の説法です。
弟子が見守る中
日面仏、月面仏!
と言って亡くなったとのこと
日面仏は永遠の仏です。
その昔、インドで毎日ギラギラ同じように輝く太陽を見て、太陽は永遠の存在であると考えました。
それに対して
月面仏は一日一夜の短命の仏です。
月は毎日満ち欠けをしていることは今の人であれば当然ですが、昔は毎日死んで、新しい月が出てきていると考えられました。
この対極の仏をあげた真意としては
人生とは永遠と瞬間である。
ということを伝えたかったのだということです。
永遠に生きるかのように、今この瞬間を大切にせよと。
年末で慌ただしい毎日ではありますが、日々を大切にして、心穏やかに生きていくことが大切です。