禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会(8)開催致しました。

2014-10-23

2014年10月21日に禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会(8)開催致しました。

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『無門関』第2則 「百丈野狐(ひゃくじょう-やこ)」  

百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)の説法があると、いつも一人の老人が大衆の後ろで聴聞していた。
そして修行僧たちが退場すると、老人もまた出ていくのであった。

ところがある日、彼はひとりその場に居残って出ていこうとしない。
そこで百丈が、「そこにいるのは誰か」と聞かれた。

老人は、「はい、私は人間ではありません。大昔、仏陀もまだこの世に出られない頃、この山に住んでいましたが、ある日弟子の一人が、
「仏道修行を完成した人でも、やはり因果の法則に落ちて苦しむものでしょうか」と尋ねるので、
「いや、因果の方に落ちることはない」と答えました。

するとそれいらい五百生の長い間、私は野狐の身に堕ちてしまい、生まれ変わり死に変わりして今日に至りました。
どうか私に代わって正しい答えとなる一句によってこの野狐の身から脱出させていただきたい」と頼んだ。

そして改めて、「仏道修行を完成した人でも、やはり因果の法則に落ちて苦しむものでしょうか」と質問した。
すると百丈和尚は、「因果の法を昧(くらま)さない」と答えられた。

その途端に老人は大悟し、百丈和尚に礼拝して言った。
「私は已に野狐の身を脱することができました。抜け殻となってこの山の後ろにおります。どうか坊さん並みのお葬式を営んでください」。(後略)

【現代語訳】西村恵信訳『無門関』(岩波文庫)より

中国は唐の時代に大活躍された馬大師(ば-だいし)には、たくさんの優れた弟子がおりました。
その中でも、禅宗の歴史に名前を轟かしているのが、懐海(えかい)禅師(ぜんじ)です。
百丈山(ひゃくじょうさん)に禅道場を建てて弟子を育てたので、一般的には、百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)と呼ばれています。

百丈(ひゃくじょう)は、まだ青年僧としての修行時代、野生のカモが飛び立つのを見ての禅問答のときに、間の抜けた答えをしたために、
師匠の馬大師(ばだいし)に思いっきり鼻をねじられました。
百丈(ひゃくじょう)は、あまりの痛さに、修行のことも、何もかも忘れて、思わず「あっイタタタ・・・!」と悲鳴をあげた瞬間に、悟りを開いたと伝わっています。

このような悟りを「忍痛三昧(にんつう-ざんまい)」といいます。

痛みになりきった境涯ということです。
痛みから逃げているうちは、悟りは開けませんが、痛みそのものになりきったとき、小さな自己の殻(から)が破れて、大きな自己が再生するのです。

さて、馬大師(ば-だいし)の下で、十分に修行を積んだのち、百丈(ひゃくじょう)は自分の道場を開きます。
今回、ご紹介するのは、円熟した百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)の有名な「野狐禅(やこぜん)」の話です。

百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)が、弟子たちのために、提唱(ていしょう)という禅的な講話をされていました。
おそらく、禅仏法に関心のある一般の人でも提唱を聞くことを許していたのでしょう。提唱の度に、いつも後ろの方で、黙って提唱を拝聴している見慣れぬ老人がいたそうです。

提唱(ていしょう)がおわれば、修行僧は禅堂に戻って、坐禅を始めます。
一般の方は、そのまま帰ることができます。
ふだんは、老人も修行僧と一緒に退出して、どこへとも知れずに帰っていたのですが、ある日、みんなが退出したあとに、老人だけが残っておりました。

百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)に何かを問いかけたそうな様子をみて、他のものをすべて退席させてから、百丈(ひゃくじょう)は老人に問いかけました。

「わしの前に立っているお前さんは、いったい何ものだい?」

百丈の言葉は、普通の質問のように感じますが、
じつは、「お前の真実の自己とは何か?」という深い禅的な意味を含んでいます。
日常的な言葉を使って、禅問答を行い、修行者を悟りの世界に導こうというのが、禅仏教のやり方です。
このときの百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)の問いも、老人の修行熱心を認めての慈悲心からの問いでした。

百丈(しゃくじょう)の慈悲心を感じ取った老人は、おもむろに不思議なことを語り出しました。

これが、「野狐禅(やこぜん)」という禅語の出所となった話です。

どうぞ、続きをお読みください。

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