禅仏教の深層心理学―唯識について②
次に、第六識として「意識
いしき
」があります。
一般的にいう意識は、感覚、知覚、思考などによる人間の心の働き全体を意味するのに対して、唯識
ゆいしき
でいうところの「意識」は、学問的には、「五
ご
識
しき
」であらわされる感覚とは区別された心の働きを言います。
ちなみに、唯識思想でいう「五識」は、外界に対して受動的な感覚で、言葉を介さずに、現在の一瞬一瞬における感覚対象を認識するものです。
それに対して、唯識でいう「意識」は、過去・現在・未来にわたるあらゆる事物を対象にすることができ、言葉を介して抽象的な概念も対象にできること、などが「五識」とは異なります。また、感覚と区別されているという点で、一般的な用語である意識とは、微妙に異なるわけです。
とはいえ、私たちのような普通の生活人にとっては、用語の厳密な区別はあまり意味がありません。
唯識でいう第六識「意識」は、一般的にいう意識と、ほとんど同じものであると考えてよいでしょう。
次に、第六識「意識」の下に、第七識「末那
まな
識
しき
」と第八識「阿頼耶
あらや
識
しき
」があります。
「五識」の感覚と第六識「意識」が誰でも認識できる表層心理であるのに対して、第七識「末那
まな
識
しき
」と第八識「阿頼耶
あらや
識
しき
」は、深層心理にあたります。
そのため、普通はその存在を認識できません。
唯識
ゆいしき
思想を作り上げたインドの仏教者たちは、坐禅やヨーガによる深い禅定
ぜんじょう
体験をすることによって、人間の深層心理に気が付きました。そして、現代に生きる私たちも、坐禅や各種の瞑想法によって、深層心理に気が付くことができます。
あるいは、これが深層心理だと気が付かなくても、坐禅によって、深層心理、あるいは潜在意識が浄化されて活性化しますので、心の活力が自然に上がることになります。
そうなると、誰でも、坐禅をとおして自分の中で何かが変わりつつあることに気が付きます。
インドの仏教者は、徹底的に坐禅やヨーガをすることによって、1500年以上も前に、人間の深層心理の構造に気が付いたのです。