第二十則「大力量人」(解説その1)
2014-06-19
国語辞典には「忍耐力」は、「苦しさ、辛さ、悲しさなどを耐え忍ぶ力」とされています。
腹立ちやイライラ、つらさ、悲しさなど精神的な苦しみや体の痛みやつらさ、経済的苦しさなど、心身の苦しい状態にじっと耐え、我慢するものという意味です。
しかし、ここでいう「忍耐力」とは、一般的な忍耐力とは少し異なります。
お釈迦さまの「忍耐力」とは、「人我(にんが)の見が無い」「私というものがない。従って相手が無い」(安谷白雲老師)という絶対的な心の有り様からくるものとされます。
「苦しみ」に耐える力が「忍耐力」ですが、「苦しみ」の根源を仏教では、「三毒(さんどく)といいます。
「三毒」とは、「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」という三つの毒のような煩悩(ぼんのう)です。
「貪(とん)」とは、むさぼりの心です。
「瞋(じん・しん)」とは、怒りの心です。
「癡(ち)」とは、おろかさですが、真理に無知であることです。
「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」という三毒(さんどく)を克服できれば、苦しみの根源がなくなります。
そのような境涯がお釈迦さまの境涯であり、「苦しみ」の根源がないのですから、無限の忍耐ができるということになります。
しかし、私たち凡夫は、簡単には「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」の三毒(さんどく)を克服できず、常に「苦しみ」の中に生きているといえるでしょう。
仏教では、「生・老・病・死」の4つを「四苦(しく)」と言います。
「生(しょう)」という生きることそのものが「苦」と捉えられるのは、不思議な感じがしますが、私たちが、常に「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」の三毒(さんどく)に苦しんでいるという現実を教えているのだろうと思います。
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