精一杯の花を咲かせた堂々たる人生
沢木老師の「坐禅をしても何にもならぬ」という言葉は、
達磨大師(だるま-だいし)の「無功徳」(むくどく)
という言葉にも相通じるものを感じます。
達磨大師(だるま-だいし)の逸話は、歴史的事実かどうかは正確にはわかりませんが、禅門では大事な公案として受け継がれています。
達磨大師が中国に来られたのは、梁(りょう)の武帝(ぶてい、在位:西暦502年~549年)の時でした。日本でいえば、聖徳太子より100年ほど前の時代です。
梁の武帝は、仏心天子とか、皇帝菩薩とあだ名されるほど、あつく仏教に帰依して、国中にたくさんのお寺を立て、僧侶を供養しました。5千万人程と推定される国の人口のうち、約200万人が僧尼であったといわれます。
また、武帝の信仰は、表面的なものではなく、自らも、仏教の戒律を厳しく守り、数々の仏典に対する注釈書まで著しています。
このように梁の武帝が仏教振興政策を熱心に実行していた時に、はるばるインドから禅の教えを伝えるために、達磨大師(だるま-だいし)が梁の国にやってきたのでした。
梁の武帝は、徳の高いインドの名僧がはるばるやってきたと聞き、さっそく達磨大師を宮廷に招いて、一連の問答がなされました。
そのとき、梁の武帝がまず聞いたことは、
「仏教にはどのような功徳があるのか?」ということでした。
それに対する達磨大師のお答が、「無功徳」(むくどく)でした。
「無功徳」(むくどく)を理屈で説明すれば、
「功徳を求めて、つまりご利益を求めて何かをするような仏教は、本当の仏教ではない。
そのようなご利益を期待しての信心では、本当の「悟り」はひらけない。
仏教の真の功徳をお釈迦さまの「悟り」に近づくことであるとすれば、ご利益を期待すればするほど、「悟り」の境涯から遠ざかる。
だから、ご利益を期待して仏教を学んでも、真の功徳は得られない」
という意味になります。
しかし、このような解説は、いわば常識的な説明であって、禅的には、より深い意味で受け取ります。
では、達磨大師の「無功徳」の示す禅的な意味はどのようなものか?
というのが、昔から禅門における大事な公案になっています。