自分に授かっただけが、授かったもの
そのような世間的苦労を乗り越えて、禅の修行で心を練り上げた沢木老師にとって、「お金」は、大したものではありませんでした。
実際、沢木老師は、生涯、自分の寺を持たず、修行一筋の人生を歩みました。
通常のお坊さんは、自分のお寺を持って、檀家(だんか)さんの葬式や法事を営み、お墓を管理することで、生計を立てています。
インドで生まれた仏教には、もともと祖先供養などの教えはないのですが、ご先祖様を大事にする日本人の伝統文化と仏教が不可分に結びついているのが、日本の仏教です。
もうひとつの日本人の精神的伝統である神道では、死をケガレと捉えますから、神社で結婚式は行っても葬式はしませんね。神道式の葬式というのもあるらしいのですが、世間的には滅多に見ないと思います。
ケガレに当たる葬儀を仏教が担うようになったのには、長い歴史的な経緯があるようです。歴史的経緯により「葬式仏教」と言われるほど葬儀やお墓と日本のお寺とは深く結びついています。
それに対して、檀家のある寺を生涯持たなかった沢木老師は、確実な収入を得られる定職を持たないお坊さんでした。
55歳で駒沢大学の教員になるまでは、旅館の宿帳に、自ら「無職」と記帳していたというエピソードが『禅談』(沢木興道著、大法輪閣)という本(沢木老師の法話集)に載っています。
実際には、沢木老師も、僧侶として他の寺の住職のお手伝いで葬式や法事をされてお布施を得たこともあったと思います。
また、戦前から禅僧として有名な方でしたから、沢木老師を慕う人に請われて、法話や講演をすれば、それなりのお布施(講演料)を得ていたでしょう。
著書の印税もあり、大学教員の給与も入ったでしょうから、極貧の生活をされたわけではありません。
しかし、葬式にしても、法話や公園や著作も、また大学教員の仕事も、沢木老師は、お金のためにしたのではありませんでした。
沢木老師は、参禅弁道を目的とする参禅道場を全国各地に開き、坐禅の指導に一生を捧げられました。
お金を目的とせず、坐禅を本尊(ほんぞん)として、禅の修行とそれによる衆生済度を人生の目的として、85年の人生を生き抜かれたのでした。
お金に使われることなく、一生を坐禅に捧げた沢木老師から見れば、「お金、お金」と騒いで、バタバタと生きている凡夫たちは、「甲斐性(かいしょう)なし」(意気地のない、頼りにならない人のこと)に見えたのではないでしょうか。
「人間、金をもっていなけりゃ 生きて ゆかれんような
甲斐性(かいしょう)なし じゃ 困るね。」
という沢木老師の言葉は、厳しくも充実した人生を生きた沢木老師にして見れば、当然のお言葉であることでしょう。