自分に授かっただけが、授かったもの
2013-11-01
しかし、現代に生きる私たち凡夫にとっては、お金なしでは生きていけないのが現実です。
会社の経営に携わる経営者にとっては、社員や取引先のためにも、お金の問題は避けて通れません。
世間で生きる私たち凡夫にとっては、お金の問題、経済的な問題は重大問題であり、お金に振り回されざるを得ない面があります。
経済的な困難や不安があれば、それだけで心が暗くなり、心身の健康を害する原因になります。
1980年代のバブルの頃には、「お金さえあれば、たいていの幸せは手に入る」という言葉をよく聞いたものですが、一面の真実があります。
世間的な楽しみには、衣食住、すべてについて、ある程度のお金が必要であり、高いお金を出せば、それだけ優れた物を手に入れられます。また、お金持ちは、それだけで世間では尊敬され、大切にされる面があります。
物質的な豊かさは、心の豊かさとはイコールではないでしょうが、
お金が私たちにかなりの満足感を与えてくれることは間違いないと思います。
それでも、「お金、お金」とカネだけが人生の目的があるかのような生き方は、いつの日か、虚しいものに感じられる時がくるのではないのでしょうか。
少なくとも、死ぬときは、あの世にお金や財産を持っていけるわけではなく、魂一つで、あの世に旅立つことになります。
人生の途中段階では、お金は極めて大事な問題ですが、人生の最終段階では、もはや人生の目的でもなく、役に立つものでもないように思います。
沢木老師の言葉は、誰にでも訪れる「死」という人生の最終段階をにらんで、
「お金だけが、全てではないんだよ」
「お金に頼らない、お金を超えた価値観もあるんだよ」
「お金が十分になくても、人間らしく生きられるんだよ」
というメッセージであると理解したいと私は思います。
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