自己の存在価値を自己において見出す
さらに、「法句経」(ほっくきょう)からも、同じ趣旨の教えを引用されています。
『法句経』(ほっくきょう)は、原始仏典の一つで、お釈迦さまの語録の形式を取った仏典です。
パーリ語の原題である『ダンマパダ』の語義は「真理の言葉」といった意味で、原始仏典の中では最もポピュラーな経典の一つです。
日本語訳として、岩波文庫に中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』、講談社学術文庫に、友松円諦訳『法句経』があります。
内山老師の引用は、友松円諦先生訳の『法句経』160番の言葉ではないかと思いますが、意味は同じでも、表現を一部、内山老師流に修正しているようです。
「自己の依(よ)り処(どころ)は、自己のみなり。
よく調えられし自己こそ、
かけがえのない依(よ)り処(どころ)なり」
(内山興正老師)
友松先生は、日本に『法句経』を広められた方ですが、戦前の文語訳なので、今となっては、言葉が難しいところがあります。
「おのれこそ おのれのよるべ
おのれをおきて 誰によるべぞ
よくととのえし おのれこそ
まこと得難き よるべをぞ 得む」(友松円諦訳)
これにたいして、岩波文庫に収録されている中村元先生の訳は、現代語でわかりやすいものです。
「自分こそ 自分の主である。
他人が、どうして(自分の)主であろうか?
自分をよくととのえたならば、得難き主を得る。」
(中村元訳)
それぞれの訳で、日本語の表現は異なりますが、伝えたいことは同じです。
「自己を調えることによって、
自己そのものが、かけがえのないよりどころとなる」
ということです。
「自己を調える」ための方法こそが、禅の修行であると内山老師は教えてくださっているのです。